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和氏(やまとうじ)は、「和」を氏の名とする日本の渡来氏族。姓(カバネ)は史。倭・養徳とも記される。 == 概要 == 百済の第25代王・武寧王を祖と称した、百済系渡来氏族〔桓武天皇の母・高野新笠の出自について『続日本紀』延暦8年12月28日条に、”皇太后姓は和氏、諱は新笠、贈正一位乙継の女(むすめ)なり。母は贈正一位大枝朝臣真妹なり。后の先は百済武寧王の子純陁太子より出ず。、、、、皇太后曰く、其れ百済の遠祖都慕王は河伯の女日精に感じて生めるところなり、皇太后は即ち其の後なり。”とある。〕〔『新撰姓氏録』左京諸蕃〕。和(やまと)の名称は、大和国城下郡大和郷(現在の奈良県天理市佐保庄町大和一帯)に由来する〔佐伯467 〕。 もともと和史姓を名乗っていたが、和乙継(やまとのおとつぐ)の娘・新笠が入侍していた白壁王(光仁天皇)が即位したため、宝亀年間(770年代)に乙継・新笠親子には高野朝臣姓を賜与された〔『続日本紀』延暦9年正月15日条〕。また、国守らその他の一族も延暦2年(783年)に史姓から朝臣姓に改姓している〔『続日本紀』延暦2年4月20日条〕。 その嫡皇子である桓武天皇は、延暦9年12月30日(791年2月11日)、生母の一周忌として母系の祖父・和乙継と祖母・土師真妹(はじのまいも)に正一位を追贈し、このとき、同じ出自を理由に〔諸上の大叔母に真妹を当てる系図がある(中田憲信編『好古類纂』第10集毛利家譜)〕母方祖母系の菅原真仲、土師菅麻呂、土師諸上に朝臣姓の「大枝」が授与されていて、後の菅原氏、大江氏(太枝からの改姓)へと続くが、一方の和氏は、同族として孝謙上皇に従事した和気広虫、その弟で戦前には勤皇忠臣とされた和気清麻呂、和氏姓氏族としては桓武朝で天皇の外戚として中納言にまで昇進し、渡来系氏族として初めて公卿となった和家麻呂(乙継の孫)がいる〔『日本後紀』延暦23年4月27日条〕が、以降は振るわなかったとみられ、朝臣姓「高野」も現れない。 氏神の和気神社は、現在の岡山県和気町にある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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