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和泉守兼定(いずみのかみ かねさだ)は、日本刀の銘および刀工の名称。室町時代に美濃国関(現岐阜県関市)で活動した和泉守兼定(之定)が著名であるが、同名の刀工は江戸時代末期に会津藩で活動した和泉守兼定(会津兼定)も知られている。 ==歴代兼定== * 関兼定 # 初代(親兼定) # 二代(之定、和泉守兼定) # 三代(疋定) * 会津兼定(古川兼定家) # 初代(孫四郎兼定。父の清右衛門を初代とする説もあり) # 二代(孫一郎兼定) # 三代(孫左衛門兼定) # 四代(入道兼定) # 五代(数右衛門兼定) # 六代(近江兼定) # 七代(治太夫兼定) # 八代(近江兼定) # 九代(与惣右衛門兼定) # 十代(業蔵兼定、近江兼氏) # 十一代(友弥兼元、和泉守兼定) 美濃国の刀工に著名工が輩出するのは南北朝時代以降である。室町時代には備前国と美濃国が刀剣の二大生産地とされるが、新刀期(慶長以降を指す)には備前伝が衰退していったのに対し、美濃伝系統の鍛冶は各地で活動しており、新刀期の刀剣の作風に大きな影響を与えている。美濃の関鍛冶は南北朝時代の金重に始まると伝える。関を含め、美濃の刀工には、兼氏、兼元など「兼」の字を冠する名を持つ刀工が多い〔小笠原『日本刀の歴史と鑑賞』p.142-144〕。兼定は同銘の刀工が複数存在するが、初代(通称「親兼定」)、2代(和泉守を受領し和泉守兼定と銘する通称「之定」)、3代(通称「疋定」(ひきさだ))の評価が高い〔得能一男『刀工大鑑 決定版』p.82-83〕。特に2代の通称「之定」はこの時代の美濃国では随一の刀匠といわれ有名である〔本阿弥 光遜 著『日本刀の掟と特徴』p.198-199〕〔福永酔剣『日本刀大百科事典 第2巻』p.23-24〕。 初代兼定については、かつてはその作刀が明確でなく、「之定」が事実上の初代とみなされていたが、享徳二二年(享徳四年・1455年)二月日の年紀を有し、「濃州関住人兼定」と銘する太刀が発見され、これが初代に該当するものとされている。〔鈴木卓夫、杉浦良幸『室町期美濃刀工の研究』p.49 - 56、p.171 - 177〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和泉守兼定」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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