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和浦丸(かずうらまる)は、三菱商事船舶部が1938年に建造した貨物船。太平洋戦争中には日本陸軍に徴用されて軍隊輸送船や病院船として運航、「対馬丸」が撃沈された際の同行船でもあった。終戦直前に釜山港沖で機雷に接触して擱座した。戦後に韓国により復旧されて船名をコリア(、コリョ、高麗)へ改称、1952年に韓国船として史上初の太平洋横断を行うなど初期の韓国海運の主力として使用された。 == 和浦丸時代 == === 北米航路商船として建造 === 本船は、三菱商事船舶部(後の三菱汽船)が保有する最大の船として、1938年(昭和13年)12月10日に三菱重工業長崎造船所で竣工した。同じく三菱商事を船主とする「昭浦丸」が姉妹船であるほか、東洋汽船および系列の東洋海運が発注した「宇洋丸」級6隻とも準同型である〔。同時期に三菱重工業長崎造船所で建造された木材運搬用貨物船12隻を姉妹船と数える見方もあり、その中では最終船に該当する〔松井邦夫 「絵で見る日本船史 和浦丸 」『海と安全』平成8年度10月号、日本海難防止協会、1996年。〕。 北アメリカ大陸産の木材輸入を主用途とする大型貨物船として設計されている。1930年代に日本で建造されていた畿内丸型貨物船をはじめとする生糸運搬用ニューヨーク航路貨物船(通称ニューヨークライナー)に比べると、同じディーゼルエンジン搭載の載貨重量トン数1万トン級貨物船でも、機関出力・速力を若干低く抑えた経済性重視の設計である〔岩重多四郎 『戦時輸送船ビジュアルガイド2―日の丸船隊ギャラリー』 大日本絵画、2011年、36頁。〕。船体は船首楼・船央楼・船尾楼を有する三島型で、6個所の船倉口のうち3・4番倉口は船央楼甲板上にある。荷役設備として4基のデリックポストを持ち、うち1・4番ポストは単脚型、船央楼甲板上の2・3番ポストは門型になっている。甲板上に木材を積み上げた状態でもデリックが自由に使えるよう1・4番ポストのデリック用ウインチが高い台上に設置されており、この点は軍隊輸送船として徴用時に甲板上へ上陸用舟艇を搭載する場合にも有利であった〔。他社所属の準同型船との相違点として、乗員居住区が船首楼ではなく船央楼内に置かれており、居住性に優れていた〔。 竣工した「和浦丸」は、姉妹船「昭浦丸」とともにニューヨーク航路など外国航路に就航した。約2年半を外国航路で過ごしたが、日米関係の悪化により1941年(昭和16年)6月にニューヨークから日本への航海を行ったのを最後に撤退となった。その後、樺太産の石炭輸送のため内地・樺太間を1往復している〔郵船(1971年)、下、813頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和浦丸」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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