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和田 一夫(わだ かずお、1929年3月2日 - )は、元・ヤオハン代表であり、経営コンサルタント。上海国際経営塾塾長、福岡大学経済学部非常勤講師。 静岡県熱海の八百屋「八百半」を、30年間で世界的な流通・小売業「国際流通グループ・ヤオハン」にまで発展させたものの、最終的には経営破綻させた。 ==人物== 神奈川県小田原市生まれ。日本大学経済学部卒業後の1951年、両親の営む八百屋・八百半商店に入社。1953年、妻きみ子と結婚。 1968年、八百半デパートに改称し社長就任。1971年、日本の流通業の海外進出第1号としてブラジル進出。1989年、ヤオハンデパート会長。同年、持ち株会社ヤオハン・インターナショナル設立、代表取締役会長となる。さらに香港にグループ総本部を設立、1990年家族とともに同地に移住した。1996年、総本部の上海移転とともに上海に移住。1997年上海市栄誉市民賞を受賞するも経営危機に伴い日本に帰国した。同9月にヤオハン・ジャパン(旧ヤオハンデパート)が経営破綻、和田はヤオハン関連の全ての役職から辞任、ヤオハン・グループは崩壊した。 2000年、福岡県飯塚市に移住。経営コンサルタントを務めるほか、著述や講演、講義などを行う。2004年、上海に移住、現在は中国企業や中国関連プロジェクトの顧問などを複数務めている。 長年、新宗教「生長の家」を信仰する。旧ヤオハンの社是も同宗教の教義に基づいており、世界中で新店舗が開店する際には、社員と共に行う生長の家の祈りが欠かされなかったという〔『地域から世界を変える』1994年10月号 〕。1981年には「生長の家栄える会」会長に就任している。 イズミの山西泰明代表取締役社長は実の兄弟に当たる(山西側が養子)。 和田は中国に対し「中国への思い入れというか、ご恩返しということがあります。中国は日本との戦争で、あれだけ大変な目に遭ったのに日本を分割統治することに反対し、いっさいの対日賠償を要求しなかった。一番被害を被った国が賠償を放棄してくれたおかげで、戦後の日本は繁栄できました。だからこのご恩はくれぐれも忘れてはいけません。ですから、私は、その恩ある国が困っているのを見て、私にできることはないだろうか、中国のご恩に報いる道はないだろうかと考えて、香港への移住を決意したのです」と述べている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田一夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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