翻訳と辞書
Words near each other
・ 和田俊
・ 和田俊憲
・ 和田俊輔
・ 和田保彦
・ 和田信二郎
・ 和田信業
・ 和田信盛
・ 和田信維
・ 和田信賢
・ 和田信賢 (小惑星)
和田修二
・ 和田倉噴水公園
・ 和田倫季
・ 和田健夫
・ 和田傳
・ 和田優子
・ 和田光史
・ 和田光司
・ 和田光司 (俳優)
・ 和田光太郎


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

和田修二 : ミニ英和和英辞書
和田修二[わだ しゅうじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [に]
  1. (num) two 

和田修二 : ウィキペディア日本語版
和田修二[わだ しゅうじ]
和田 修二(わだ しゅうじ、1932年 - )は、日本教育学者、 京都大学名誉教授名古屋女子大学教授オランダユトレヒト大学に留学、マルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事。専門は教育学教育哲学教育人間学臨床教育学
== 経歴 ==
千葉県生まれ、実存哲学、とりわけマルティン・ハイデッガー研究から出発。京都大学大学院教育学研究科在学中に「ニヒリズムと思考の転回」「実存における真理と自由」「教育における魔的なもの」などの論文を発表(いずれも『京都大学教育学部紀要』に所収)。奈良女子大学講師時代の1963年オランダ政府給費留学生としてユトレヒト大学マルティヌス・ヤン・ランゲフェルドに師事し、帰国後、精力的にランゲフェルドの著作や論文を翻訳、紹介している。
1967年から京都大学教育学助教授、のちに教授教育学部長を経て、同大学名誉教授となった。
この間、1983年に「規範的実践的な子どもの人間学としての教育学」により、京都大学より教育学博士を取得した。
1996年に京都大学を定年退官して〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕、佛教大学教授となり、さらに2006年より名古屋女子大学教授を務めた。
敗戦による価値観の転換を体験した世代として、教育学をこころざしながらもニヒリズムからの出発を余儀なくされたが、ランゲフェルドとの出会いによって転換できたと後に語っている。そのため、彼の教育学の根底には生命に対する自覚と責任が常に伴う。とりわけ、教育人間学の分野で、教育の根本問題として子どもという人間の本質的把握の必要性を説く。
また、1988年には、国内初となる「臨床教育学専攻」が京都大学大学院に設置されたが、この設置に多大な貢献をしている。実際的な教育経験の学としての教育学の創出を目指し、教育学研究と現職教員の再教育、研修との両分野に影響を与えている。
2010年秋の叙勲で、瑞宝中綬章を受章した〔 - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「和田修二」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.