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和田共弘 : ミニ英和和英辞書
和田共弘[わだともひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [わ]
 【名詞】 1. (1) sum 2. (2) harmony 3. peace 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ども]
  1. (suf) indicates plural - humble referring to oneself, disdainful referring to others 

和田共弘 : ウィキペディア日本語版
和田共弘[わだともひろ]

和田 共弘(わだともひろ、1922年8月1日 - 1994年4月29日)は、20世紀後半の日本の競走馬生産者、馬主シンボリ牧場元代表。シンボリ牧場現代表の和田孝弘は息子。
== 概略 ==
シンボリ牧場代表としてスピードシンボリシンボリルドルフシリウスシンボリといった名馬を生産した人物で、社台グループの総帥吉田善哉やメジロ軍団の棟梁北野豊吉ミヤ夫妻らと共に、1960年代から1980年代における日本競馬を代表するオーナーブリーダーの一人である。また、1953年、外国からの馬輸入再開が許可されると真っ先に欧米へ出かけていくなど、若い頃から行動派の生産者として名高く、生産者の立場からサラブレッドの血統配合理論を追究した者としても昭和競馬期を代表する存在であり、リーディングサイアーに2度輝いた名種牡馬パーソロンの日本導入に成功した。シンボリルドルフはパーソロンを父に、スピードシンボリを母の父に持つ、和田の生産者としての集大成ともいうべき競走馬であった。
競走馬の生産・育成・管理においてもさまざまな新手法を試みた事で知られる。フェデリコ・テシオの二元育成にならい、成長に応じて3箇所の育成拠点で競走馬を管理する三元育成を実施し、現代競馬では常識となっている短期放牧放牧を参照)の手法を日本で初めて採りいれた。また、海外競馬への思い入れが強く、海外遠征がほとんど行われなかった時代に所有する一流馬を次々と海外に遠征させるなど、先見の明に非常に富んでおり、まさに戦後昭和の日本の馬蓄産業のフロンティア的存在とも言うべきホースマンであった。この点についての評価は現在もなお高く、これが和田を昭和期を代表する競走馬生産者の一人として数えるに至らしめている。
しかし一方では、下記項目や別途当該馬の項目などにて詳細は記述されているが、晩年にシリウスシンボリ等で日本競馬史にも残る大トラブルを起こすなどしている。この為、競馬読物等で和田が語られる場合の人物評は毀誉褒貶が相半ばする所がある。
1994年死去。。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「和田共弘」の詳細全文を読む




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