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和田 安生(わだ やすお、1957年12月10日 - )は、KBC九州朝日放送ラジオ編成制作部長、アナウンサー。 == 人物・履歴 == 山口県下関市出身。山口県立豊浦高等学校を経て、西南学院大学商学部経営学科に入学。在学時はディスクジョッキー研究会に所属(サークルの後輩にタレントの中島浩二がいる)。1980年、KBCにアナウンサーとして入社。同期は同じ山口県(岩国市)の出身でもある沢田幸二、奥田智子、山本栄子(現在は退社しアメリカ・オレゴン州在住)。 福岡ダイエーホークスの試合実況をはじめ、野球・マラソン・ゴルフ・柔道などのスポーツ中継を中心に担当。1992年のバルセロナオリンピックでは、ジャパンコンソーシアムの一員として現地での実況中継を担当した。 また、ラジオにおいてさまざまな番組のパーソナリティとしても知られる。 2001年にはホークス戦の始球式を実施。福岡ドーム(現在の福岡Yahoo!Japanドーム)のマウンドに立ち、観客の前で挨拶をした。その模様を中心に構成された番組において、2001年には「日本民間放送連盟賞 九州・沖縄地区ラジオ生ワイド番組部門」で最優秀賞を受賞している。 1998年からは、プロ野球の実況から退き、長年の夢であった昼の帯番組を担当するようになる。ここ数年間は「KBCラジオ祭り」の総合プロデューサーも務めており、KBCラジオの公開放送で彼の姿を見ることもできる。また2006年秋にKBCラジオの企画として「フォークウィーク」が行われた時、フォークナビゲーターとしてその時期は頻繁に各番組に出演していた。2010年4月にラジオ制作部長となり、制作部長業務に専念するために担当していたレギュラーのPAO〜N (金曜日)を降板する。 2012年4月より現職。 2004年まで使用されていた『KBCジャンボナイター』の始めの「KBCジァャンボナイタァー!」という掛け声と終わりの「KBCジャンボナイターを終わります」というセリフ、他のKBC野球中継のタイトルコールは彼の声である。 おすぎなどの多くの有名人との親交も深い。ジャンボ尾崎、青木功、パンチョ伊東、達川光男などのものまねや(駄)洒落を得意とする。 プロレスラーの佐山聡は小中学校時代の同級生。彼が扮する初代タイガーマスクに(番組上、正体を知らないようなふりをして)インタビューを行ったことがある。また知人の結婚式の会場に余興としてタイガーのマスクをかぶって登場したところ、異様に盛り上がってしまい、偽物だとばらすことができなくなってそのまま立ち去ってしまったというエピソードもある。 1995年、「中島浩二アワー・ザ3P」が現役女子高生アイドルグループ「バナナっ娘CLUB」を企画したとき、オリジナル曲をシャ乱Qのつんくが作曲することになったが作詞者がいなかったので名乗りを上げ作詞した。→「ずっと そばに いてね」作詞和田安生 作曲つんく 歌・バナナっ娘CLUB 2001年、「和田安生・宮本けいすけ びっくり!!パワーシャベル」にて民間放送連盟賞 ラジオ生ワイド部門優秀賞受賞 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田安生」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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