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和田 浩治(わだ こうじ、1944年1月28日 - 1986年7月6日)は、昭和中期から後期(1960年代 - 1980年代前半)の日本の俳優。本名、和田 愷夫。ホリプロに所属していた。 == 来歴・人物 == 茨城県水戸市に、ジャズピアニスト・和田肇〔わだ はじめ。和田実母との結婚以前に淡谷のり子と結婚・離婚経験があり、ハナ肇の芸名の由来としても知られる。〕 の次男として生まれる。東洋音楽学校声楽科在学中の1959年、当時人気の石原裕次郎に似ていることからスカウトされ、日活に入社し、同年の『無言の乱斗』に主演し、映画デビューする。 翌1960年から、石原裕次郎(タフガイ)、小林旭(マイトガイ)、赤木圭一郎(クールガイ)とともに「ダイヤモンドライン」を結成し(やんちゃガイ)と称された、「愚連隊シリーズ」や「小僧シリーズ」に次々と主演する。ダイヤモンドラインの中では一番若く、特に奇想天外な設定のアクション映画が多かった。多くの作品で清水まゆみと共演、名コンビと称される。しかし、年を経るにしたがって、他の主演級と比べ特徴を売り出すことが出来ず、徐々に脇役に回ることが多くなった。 1971年からはフリーになり、千葉真一主演『殺人拳シリーズ』の第三作『逆襲! 殺人拳』で沖縄武術の達人である敵役に扮するなど、他社映画に出演。テレビ時代劇では1978年から『大岡越前』第5部に同心・風間駿介役で登場。血気盛んな好漢の同心役は好評で、第9部(1985年~1986年)まで出演し、代表作になった。風間を主人公としたスピンオフ作品『疾風同心』『八丁堀暴れ軍団』も制作された。 私生活では。1971年に梓みちよと結婚したが翌1972年にスピード離婚〔和田が梓とのセックスレス状態に嫌気がさしたともいわれる〕、クラブ経営者・田村順子との再婚も話題になった。いずれの妻との間にも子はいない。 1985年の夏頃に、胃の不調を訴え緊急入院。一時退院し活動を再開したものの、翌1986年春頃に再入院。1986年7月6日、愛妻に看取られ胃癌のため42歳の若さで死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田浩治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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