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和田 竜二(わだ りゅうじ、1977年6月23日 - )は日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の騎手。競馬学校花の12期生のひとり。 == 来歴 == 父・和田守は厩務員で、松永善晴厩舎でトーヨーシアトルを担当し、その後河内洋厩舎でヤマニンキングリーなどを担当した〔キングリー和田父 打倒竜二/JCダート - nikkansports.com 2011年11月30日(2014年8月18日閲覧)〕。兄・和田裕一も厩務員(坂口正大厩舎→牧田和弥厩舎所属)で、デュランダルなどを担当〔サラブレッドルーキー岩崎翼が羽ばたく - nikkansports.com 2013年7月30日(2014年8月18日閲覧)〕。甥(姉の子)に、同じくJRA騎手の岩崎翼がいる〔。 1996年栗東・岩元市三厩舎所属騎手としてデビュー、同年12月にステイヤーズステークスをサージュウェルズで制し、花の12期生の中では最初に重賞を制覇する〔和田騎手&岩元師の師弟コンビでメモリアル達成!! - 競馬ラボ 2010年1月30日(2014年8月18日閲覧)〕などデビュー年は33勝を挙げ、関西の新人騎手賞にあたる中央競馬関西放送記者クラブ賞を獲得している。 1999年の皐月賞をテイエムオペラオーで制しGI初制覇、翌2000年にはテイエムオペラオーとのコンビで京都記念→阪神大賞典→天皇賞(春)→宝塚記念→京都大賞典→天皇賞(秋)→ジャパンカップ→有馬記念、と重賞を8連勝して前人未到の古馬GIグランドスラムを達成するなど活躍。この時期の勝利騎手インタビューでは、大声で「シャー」などと声を発するなどのパフォーマンスで一躍有名となった。有馬記念を勝ったときにはアントニオ猪木の決め台詞である「1、2、3、ダー!!」で締めた。引退式では「オペラオーにはたくさんの物を貰ったが、あの馬には何も返せなかった。これからは一流の騎手になって、オペラオーに認められるようになりたい。」と誓った。 テイエムオペラオー引退後は毎年30勝以上をコンスタントに稼ぎ、2005年には自身初の年間50勝超えも達成した。以後も関西リーディングの上位に名を連ねるほどの成績を挙げている。なお、初の50勝超えを達成した2005年以降は、44勝に終わった2008年をのぞいて毎年50勝超えを達成している。 2012年11月4日の京都競馬場8レース、ラディアーレで通算勝ち星800勝を達成〔和田竜二騎手 JRA通算800勝達成 - ラジオNIKKEI 2012年11月4日(2014年8月18日閲覧)〕。翌日に川崎競馬場で行われたJBCクラシックでは、ワンダーアキュートで2001年の天皇賞(春)以来11年ぶりとなるGI勝利をおさめた〔JBCクラシック】ワンダーアキュート 5馬身ちぎった初G1 - スポニチAnnex 2012年11月6日(2014年8月18日閲覧)〕。 2014年12月21日、阪神8Rでエーシンヘディングに騎乗し、史上16人目のJRA通算13000回騎乗を達成した〔開催競馬場・今日の出来事 - JRA 2014年12月21日(2015年3月21日閲覧)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田竜二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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