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和田 貞夫(わだ さだお、1925年1月5日 - )は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(4期)。 == 来歴 == 大阪府和泉市出身。1943年、成器商業学校卒。1947年、大阪府庁に入る。1959年、大阪府議会議員に当選、3期務める。1972年の総選挙で、旧大阪5区から立候補して初当選。通算4期、務めた。 1974年、兵庫県で部落解放同盟が日本共産党の教師たちにリンチ糾弾をおこなった八鹿高校事件に際しては、部落解放同盟による暴力はなかったとの立場をとり、「赤旗や兵庫民報による背筋の寒くなるようなデマ」の存在を申し立てた〔1974年12月24日、衆院地方行政委員長会での質問。〕〔高杉晋吾『部落差別と八鹿高校』p.204〕。もっとも、1975年には和田自身が衆院で「いかにも八鹿高校の問題が、原因を抜きにいたしまして、ただリンチ事件、暴力事件があった、これを部落解放同盟がやっているのだという誇張された宣伝」と述べ、八鹿高校における暴力の存在を認めた上で、その原因を問題にするレトリックへ乗り換えてしまっている〔衆議院会議録情報 第076回国会 内閣委員会 第11号 〕。 1974年、三味線の材料として猫が捕獲されている問題で動物愛護団体が声を上げた際、三味線づくりが被差別部落の伝統産業であることから和田は猫捕獲の存続を訴え「(ネコ)捕獲の状況というものを続けていけるように配慮をしてこの保護法の施行にあたって処理してもらいたい」〔衆議院会議録情報 第072回国会 内閣委員会 第11号 〕と衆院で要請。このため、早稲田大学法学部教授の杉山春康から「犯罪となるおそれのある業を「同和」のために容認せよと言うことは、同和行政を考えるときには本末転倒の議論ではないでしょうか。いわれなき差別と恥辱を受けている方々の事については、もっと積極的な施策によって、その対策を考えていくのが国政というものではないでしょうか。和田議員の発言は、むしろ差別と蔑視を温存していく考えであると私には思えてしかたがありません」〔『猫とり被害者の会会報』(1974年9月)〕と反論を受けた。 1995年4月、勲二等瑞宝章を受章。1996年に、政界を引退した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「和田貞夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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