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「哀愁でいと」(あいしゅうでいと)は、1980年(昭和55年)6月21日にリリースされた田原俊彦のデビュー・シングル。 オリコンチャート上の同曲の推定売上は71.9万枚で、2015年現在、田原のシングルでは最大のセールスを記録している。TBSテレビ「ザ・ベストテン」では登場8週目の1980年8月28日より3週連続で第1位を獲得した。また同曲で1980年大晦日放送の「第31回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たした(同紅白歌合戦には「たのきんトリオ」のメンバー・近藤真彦と野村義男も田原の応援として紅白ステージに出演している)。 == 解説 == *オリジナル曲は、アメリカの歌手・レイフ・ギャレット(Leif Garrett)のアルバム『プリンスの週末(Feel The Need)』(1978年)に収録された“NEW YORK CITY NIGHTS”〔のち、アルバム『レイフ・ギャレット・コレクション』にも所収。〕である。この楽曲は日本では当初、アルバムからのセカンドシングル「フィール・ザ・ニード」のB面として1979年(昭和54年)6月にシングル発売されたが、のちにAB面を逆にして再びプロモーションされオリコンで最高76位を記録した曲である。1980年(昭和55年)11月には『哀愁でいと』のヒットを受けてシングルが再発売され、オリコン最高56位まで上昇した。ちなみにジャニーズ勢によるレイフの楽曲のカバーは、1979年(昭和54年)に発売された川﨑麻世のシングル『レッツゴーダンシング』(原題:"I WAS MADE FOR DANCIN'")の例がある。 *デビューに際して、NAVの制作ディレクター・羽島亨のもと、約10曲のオリジナル曲が制作されたが、結果的にこのカバー曲が採用された。すこしでも原曲と同じサウンドにしたいという事務所の意向で、サビの「バイバイ哀愁でいと」という印象的なコーラス・フレーズは、「I should date」という感じでアメリカっぽく発音して下さいと、コーラス担当のEVEに依頼したという〔羽島亨「ライナーノート」(『BEST OF TOSHIHIKO TAHARA』)(ポニーキャニオン、1998年)〕。なお、この1980年(昭和55年)にキャニオン・レコード(本作発売後まもなくNAVを吸収しレーベル化)はレイフ・ギャレットが所属していたレーベル「スコッティ・ブラザーズ (Scotti Brothers Records)」の発売権を獲得している。 *初回プレス盤は「TOSHI」のロゴが入った特製レコード袋が使用された。また、店舗によっては特典として田原のメッセージを録音した名刺大のソノシートが封入された。 *たのきんトリオも出演していたドラマ『ただいま放課後』の挿入歌。 *B面の「君に贈る言葉 (アフター・スクール)」は、のちに発売されたファーストアルバム『田原俊彦』の収録曲「アフター・スクール」をBGMに女声コーラスをバックにして、たのきんトリオの3人(田原・近藤・野村)による台詞の掛け合いで構成された曲である(ただし冒頭及び曲の終わり際のみ、歌のパートあり)。因みに近藤・野村はまだ二人共に、正式にレコードデビューをする前であった。 *テレビの歌番組ではバックダンサーのジャPAニーズとともに出演した。ジャPAニーズとの出演は中断を挟んで1982年(昭和57年)のシングル「君に薔薇薔薇…という感じ」まで続いた。このスタイルは田原のダンスのうまさも手伝って、日本におけるダンスビートにのせて踊りながら歌うポップスの男性アイドルとしての存在を明確にした〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「哀愁でいと」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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