|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 品 : [ひん] 【名詞】 1. thing 2. article 3. goods 4. dignity 5. article (goods) 6. counter for meal courses ・ 川 : [かわ] 【名詞】 1. river 2. stream ・ 二 : [に] 1. (num) two
品川 隆二(しながわ りゅうじ、本名 奥秋 潔、1933年4月11日 - )は山梨県出身の俳優、作詞家、ナレーターである〔公式プロフィールでは長年1931年(昭和六年)生まれ、とされていたが、2007年に出版された「品川隆二と近衛十四郎 近衛十四郎と品川隆二」ワイズ出版による本人のインタビューで、本来の「昭和八年」の「八の上になべぶたをくっつけて、ごまかした(年齢詐称した)」と真実を述べている。〕。 == 来歴 == 1933年4月11日、山梨県宝村(現・都留市)中津森に生まれる。旧制都留中学3年の時、兄を交通事故で亡くし家出を決行し上京。 その後、母親に援助を受け都内の旧制専門学校などを転々とするが、次第に愚連隊に関わるようになる。そんな戦後の学制改革のドサクサの中、戸籍抄本に細工をして年齢を詐称し〔東洋大学に入学する。 1951年、「ミスターニッポンコンテスト」(スポーツニッポン社と大映が主催)の5人に選ばれ、同年12月大学を中退し、大映演技研究所6期生となる(若尾文子より3か月遅れ、同期のニューフェイスには南原宏治がいる)。1952年、正式入社となるも仕出しの扱いを受け、月給3500円で通行人等で映画出演。最初の芸名は『奥秋不二夫』である。 1954年、ようやく役がつくようになる(これまでこの年に大映入りしたと報道されてきた)。 『川口浩』(川口松太郎の息子)がデビューする際、大映は6期生の奥秋も売り出そうと計画、鳴り物入りでデビューする「川口」にちなんで、「同じ京浜東北線の駅名がよい」と『品川隆二』と名づけられる。これ以降、京浜東北線の芸名は『鶴見丈二』、『川崎敬三』と続いた。 1956年、「女中さん日記」で初主演。泉鏡花原作、市川崑監督のカラー大作「日本橋」の葛木晋三役に抜擢され〔この役は本来、鶴田浩二が演じる筈だったが、鶴田が当時、撮影所長と交際していたある女優を「寝取る」というスキャンダルを起こし、降板させられたことで、品川に回ってきたものである。 〕、映画はヒット。これ以後、二枚目役を続け「高校生と殺人犯」に主演。 1957年以降、大映社長永田雅一の一人息子である永田秀雅〔永田秀雄と書かれている出典が少なくないが間違いである。〕と恋敵になった〔品川は当時、とある女優と恋愛関係にあったが、永田が横恋慕した。〕事をきっかけに、冷遇を受け、端役に回されるようになる。 1959年、大晦日付で大映退社。1960年、第二東映に移籍し、これまで現代劇がほとんどだったが、時代劇出演が続くことになる。「次郎長血笑記」で準主役の森の石松役を得て、「砂絵呪縛」で本格的に時代劇を意識し始める。「あやめ笠 喧嘩街道」、「百万両秘帖 前後篇」に主演。 1961年、ニュー東映「情無用の喧嘩状」、「旅がらす花嫁勝負」、「首なし島の花嫁」に主演。『柳生武芸帳』シリーズ(1961 - 1963年)では、近衛十四郎演じる柳生十兵衛の敵役など複数の役で活躍する。 1962年、東映「壁の中の美女」、「怪談三味線掘」に主演。以後、脇役が中心となる。 1964年、TV時代劇「忍びの者」で、主役の石川五右衛門を演じる。1962年、市川雷蔵主演でヒットした大映制作の同名映画のTV化作品だが、後年のTV作品で見せたコミカルさを微塵も感じさせないシリアスな役どころであった。 1965年から1968年、近衛十四郎とコンビを組んだTV時代劇「素浪人 月影兵庫」のコミカルな焼津の半次役で人気者になる。時代劇の不振で東映が大規模な首切りを行う中、中村錦之助と共に最後まで労働組合活動を行うが、他の役者に裏切られ、東映を退社。 1969年、「素浪人 花山大吉」で再び“焼津の半次”役を演じた後、後番組である「さむらい飛脚」では焼津の半次とは一転して完全な二枚目でクールな美男剣士役を演じた。 1970年代後半からはプロデューサー俊藤浩滋の下で、ヤクザ映画やVシネマ等に出演、その他舞台等でも活躍する。 近年は健康を害した事もあり演歌の作詞家活動を行っている。2007年、テレビ朝日系で放送された松方弘樹主演「素浪人 月影兵庫」では第1話と第8話(最終話)にゲスト出演した他、ナレーターを務めた。ちなみにこの時の焼津の半次は小沢仁志。 現在は京都在住(時代劇専門チャンネルでの本人インタビュー)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「品川隆二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|