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唐古・鍵遺跡(からこ・かぎ・いせき)は奈良盆地中央部、標高約48メートル前後の沖積地、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。 現段階の調査で認知されている遺跡面積は約30万平方メートル。規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され、話題となった。明治34年、高橋健自が『大和考古雑録』の中で「磯城郡川東村大字鍵の遺跡」として紹介した事を始め、全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。平成11年(1999年)に国の史跡に指定され、ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されている。 平成16年11月24日、田原本青垣生涯学習センター内に唐古・鍵考古学ミュージアムを併設し出土品などの展示を行っている。 == 遺跡の変遷 == === 弥生時代前期 === 集落の形成 *遺跡北部・西部・南部の小高い丘に居住域が形成される。 *各居住区はおよそ150×300メートルの範囲を有していた。そこからは、多数の鍬や鋤の農耕具、斧の柄などの工具、高杯や鉢などの容器類の各種未製品の木製品が多数検出された。この期の石包丁の石材は遺跡の南方6キロにある耳成山からの流紋岩であった。原石から石包丁までの製作の過程のものが出土している。このようなことから、この集落の形成時期から様々な道具を造り、その周辺の地域に供給する集落であったと推定されている。 *弥生時代としてはもっとも古い総柱の大形建物跡が検出されている。〔梁行き7メートル、桁行き13.4メートル以上の南北棟建物で、独立棟持柱をもつ。残っている柱は直径0.6メートルのケヤキ材3本と棟持柱がヤマグワ。〕 この建物は、西地区の中枢建物と推定。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唐古・鍵遺跡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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