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唐沢弘光 : ミニ英和和英辞書
唐沢弘光[からさわひろみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とう]
 【名詞】 1. T'ang-Dynasty (China 618-907) 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

唐沢弘光 : ウィキペディア日本語版
唐沢弘光[からさわひろみつ]

唐沢 弘光唐澤-、からさわ ひろみつ、1900年 - 1980年シリーズ・日本の撮影監督 1 東京国立近代美術館フィルムセンター、2010年1月27日閲覧。〕)は、日本の撮影技師映画監督である。帝国キネマ演芸在籍時代に映画監督を務めているが、やがて撮影技師に専念した〔唐沢弘光、日本映画データベース、2010年1月27日閲覧。〕。俳優大河内傳次郎、監督伊藤大輔とのトリオを組んだ傑作群で知られるカメラマンである。
== 人物・来歴 ==
1900年(明治33年)に生まれる〔。
1918年(大正7年)、天然色活動写真(天活)に入社〔、日暮里撮影所撮影部で助手として働く。1919年(大正8年)に開設された天活巣鴨撮影所に異動、1920年(大正9年)、同社は国際活映(国活)に吸収されるが、同社の大阪支社と小阪撮影所を引き継いだ帝国キネマ演芸(帝キネ)に参加する〔。
帝キネ在籍時の1921年(大正10年)、中川紫郎監督の『怪談布引滝』で技師に昇進する〔〔。1925年(大正14年)、帝キネ芦屋撮影所製作の『白河小天狗』前篇・後篇で映画監督としてデビューする〔。1927年(昭和2年)までに24本を監督した〔。同年、日活大将軍撮影所に移籍した。
1927年(昭和2年)、日活大将軍移籍第1作は、伊藤大輔と初のタッグである『下郎』であった〔〔『日本映画縦断 1 傾向映画の時代』、p.117.〕。大河内・伊藤・唐沢のトリオは、同年12月27日公開の『忠次旅日記 御用篇』からである〔。
1934年(昭和9年)、前年に設立されたピー・シー・エル映画製作所に移籍〔、東京世田谷の祖師谷に居を移す。1935年(昭和10年)には山本嘉次郎監督の『エノケンの近藤勇』を手がけた〔。
第二次世界大戦終結後のフィルモグラフィは不明であるが、教育映画テレビ映画を手がけた〔。
1980年(昭和55年)、死去〔。満79-80歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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