|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 唯 : [ただ, ゆい] 1. (adj-pn,adv,conj) free of charge 2. mere 3. sole 4. only 5. usual 6. common ・ 是 : [これ] (int,n) (uk) this ・ 一 : [いち] 1. (num) one
唯是 震一(ゆいぜ しんいち、1923年10月30日 - 2015年1月5日)は、日本の邦楽作曲家、筝曲家(生田流)。 現代における創作邦楽の第一人者として、国際的に知られる〔『日本の作曲家 : 近現代音楽人名事典』〕。また、現代邦楽の中で、最も再演数が多い作曲家の一人でもある〔。妻は筝曲家の中島靖子〔。 == 経歴 == 北海道深川市生まれ〔。父親は尺八奏者、母親は筝曲家〔「北海道ひと紀行・音を創る - 唯是震一、間宮芳生」北海道新聞、1996年6月26日夕刊〕。3歳から生田流筝曲を学ぶ〔。小樽高等商業学校(現・小樽商科大学)卒業後、一度就職するが、間もなく退職し、東京音楽学校邦楽科に入学〔。宮城道雄に師事する〔。その後、後身の東京藝術大学に楽理科が設置されると転科し、在学中の1952年、邦楽コンクール(東京新聞社主催)で第1位・文部大臣賞を受賞〔。 卒業後の1953年から2年間、コロンビア大学でヘンリー・カウエルに師事〔。この間クックレーベルからレコード『日本の琴』をリリース〔。1955年には、ストコフスキー指揮のニューヨーク・フィルハーモニーとの共演で、《春の海》を演奏し、国際的にも知られるようになる〔。1959年の帰国後は、毎年国内で新作発表会を開催〔。1962年にはトニー・スコット、山本邦山との共演のアルバム『禅の音楽』をヴァーヴからリリース〔。1964年からはロックフェラー財団の招きで2年間、コロンビア大学芸術科の講師をつとめる〔。 1970年からは毎年リサイタルを開催する一方、唯是震一合奏団を指揮して海外でも活躍〔。ユネスコ世界音楽祭・テヘラン国際音楽祭など、数多くの国際的なイベントにも招待される〔。1985年頃から皮膚病を患うが克服し、現在も旺盛な創作・演奏活動を行う傍ら、唯是音楽スタジオを主宰して後進の指導にも当たっている〔。正派邦楽会理事、現代邦楽作曲家連盟会長〔。 代表作に、北海道百年記念に作った《石狩川》などがある〔。また、竹久夢二の絵画に着想を得た《組曲「長崎十二景」》は、坂東玉三郎によって舞踊化され、何度も演じられている〔。 多くの作品が、『唯是震一の音楽』(10枚組、CBSソニー、1995年)などのCDにまとめられている。著書に『私の半世紀』がある。 2015年1月5日、有棘細胞がんのため死去〔訃報:唯是震一さん91歳=邦楽作曲、箏曲演奏の第一人者 毎日新聞 2015年1月6日閲覧〕。91歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「唯是震一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|