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啓蒙時代(けいもうじだい)は、ヨーロッパで啓蒙思想が主流となっていた17世紀後半から18世紀にかけての時代のこと。啓蒙思想とは、聖書や神学といった従来の権威を離れ、理性(悟性)による知によって世界を把握しようとする思想運動である。この時代にはスコットランドとフランスの思想家たちが、特に重要な役割を果たした。政治と経済の面では、三十年戦争でヨーロッパを二分した政治的宗教的対立がやみ、絶対主義王権と重商主義が確立した時期に当たる。 == 概要 == この時代に活躍した思想家にはイングランドのジョン・ロック、スコットランドのデイヴィッド・ヒューム、フランスのヴォルテール、ドニ・ディドロ、モンテスキュー、ジャン=ジャック・ルソー、ドイツのヴィンケルマンなどがいる。汎ヨーロッパ的な影響という点ではやや劣るものの、啓蒙主義の流れはスイスやドイツにも及び、レッシングやモーゼス・メンデルスゾーンらもこの流れに属している。 中世に学問の中心であった教会や大学にかわり、フランス王立アカデミーやロイヤル・ソサエティなど国家の支援を受けた研究機関が、この時代には人文学、自然学ともに学術の中心となった。こうした動きは中央だけでなく、地方にも及んでいる。アカデミーは学者や芸術家に年金を支給して生活上の保護を与え、あるいは年報を刊行して発表の場を与え、また懸賞金をかけて特定の主題を提示し論文を募集し、学芸の振興を図った。ルソーが出世作『学問起原論』を発表したのはディジョンのアカデミーの懸賞論文がきっかけであった。 またこの時代には印刷物の普及により、前時代にまして大量の読者層が出現した。イングランドではアディスンの文芸批評誌『タトラー』、『スペクテイター』などが発行され〔『ジョージ王朝時代のイギリス』 ジョルジュ・ミノワ著 手塚リリ子・手塚喬介訳 白水社文庫クセジュ 2004年10月10日発行 p.111〕、イングランド内外で広く読まれ、文芸および美術批評に影響を与えた。フランス王立絵画彫刻アカデミーがルーヴル宮殿で不定期に行った会員の展覧会、通称サロンとその紹介および批評であるディドロの『サロン評』もまたこの時代の美術思想へ大きく影響した。しかしもっとも深甚な影響を与えたのはヴィンケルマンの『ギリシア美術批評論』『古代人模倣論』であろう。これはルネサンス期にヴァザーリが提唱した古代を最上視する歴史観を提唱しつつ、古代の作品の可視的な形式ではなく、その形式に結晶した古代人の精神、すなわち「古代の自然(本性)」を模倣とすることを提唱した。この著作は絶対主義王権のもとで次第に社会的規制が強化されていく西ヨーロッパ社会において、多国語に翻訳され、広範な感激を呼び起こした。またヴィンケルマンは、ルネサンス、バロックの時代には、ほぼ同一視されていた古代を、ギリシアとその模倣であるローマに分けることを提唱し、ギリシア人の精神のみが範例とされるべきであると主張した。一部の研究者は、この区分を自らをローマ帝国の精神的後継者とみなしていたフランス宮廷とその文化に対する批判であるとみなし、またルソーとともにヴィンケルマンを、フランス革命に至る旧体制への批判の先駆者とみなしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「啓蒙時代」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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