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喜びの琴事件(よろこびのことじけん)は、劇団・文学座により公演が予定されていた三島由紀夫の戯曲『喜びの琴』が、同劇団内での思想上の行き違いを理由に公演中止となり、それをきっかけに同劇団の幹部・中堅座員が1963年(昭和38年)12月に集団脱退した事件。 == 経緯 == 遡ること1963年(昭和38年)1月14日、文学座の芥川比呂志、岸田今日子、小池朝雄、神山繁、加藤治子、仲谷昇、三谷昇、山崎努、名古屋章、橋爪功ら、有望な中堅俳優が集団で脱退して、福田恆存と組んで現代演劇協会附属・劇団雲を創立したことは、文学座にとって大きな痛手であった。この大量脱退騒動は、杉村体制への反発が発端であった。 そんな中、三島由紀夫は同年1月16日、劇団・文学座の結束を固め再出発したいとの旨の声明を発表し、2月11日に文学座再建のためのプランを発表。三島は、「現代劇の確立」「西洋演劇の源流を探る」「日本の古典を探る」という3つの課題を提示した〔『決定版 三島由紀夫全集題42巻・年譜・書誌』(新潮社、2005年)〕。この課題に基づいて、三島潤色のヴィクトリアン・サルドゥ原作の『トスカ』が、杉村春子主演で上演された〔三島由紀夫「ロマンチック演劇の復興」(婦人公論 1963年7月号に掲載)〕〔三島由紀夫「『トスカ』について」(新劇通信1963年6月号に掲載)〕。 そして、翌年の1964年(昭和39年)正月公演用の戯曲が三島に委嘱され、『喜びの琴』が提供された。『喜びの琴』は、言論統制法を内閣が制定しようとしている時代(当時からみた近未来)を背景にしており、反共主義思想を固く信じる若い公安巡査・片桐を主人公にした、政治色の強い題材の作品であった。劇中に起こる「上越線転覆事件」は松川事件を連想させる内容であり、同年9月に松川事件の首謀者とされた国労関係者20名の無罪が確定したばかりであった。しかし、作品の結末は、「思想の絶対化を唯一の拠り所として生きてきた片桐は、その思想が相対化されるといふ絶対的な孤独の中で、観客には聞こえない琴の音に耳をすませ、仕事に戻る ――」という〔遠藤浩一『福田恆存と三島由紀夫』(麗澤大学出版会、2010年)〕、信じていた上司に裏切られた若い公安巡査の悲劇を描いたもので、政治的プロパガンダ作品ではなかった〔三島由紀夫「文学座の諸君への『公開状』 ― 『喜びの琴』の上演拒否について」(朝日新聞 1963年11月27日に掲載)。『決定版 三島由紀夫全集第32巻・評論7』(新潮社、2003年)所収。〕。 同年1963年(昭和38年)11月20日、杉村春子、長岡輝子ら文学座劇団員の臨時総会が開かれ、話し合いの末、『喜びの琴』上演保留を決定。翌日、戌井市郎理事らが、その上演保留決定を三島に伝え申し入れた。三島は、保留ではなく中止とすることで、「文学座は思想上の理由により上演中止を申し入れ、作者はこれを応諾した」という証書を取り交わした〔。そして11月25日、三島は戌井市郎理事に文学座退団を申し入れ、11月27日の『朝日新聞』紙上に、「文学座の諸君への『公開状』 ― 『喜びの琴』の上演拒否について」を発表し、上演中止に至る経緯と顛末を書くとともに痛烈な内容で締めくくり、その翌日に矢代静一、松浦竹夫も文学座退団を声明した。同年12月15日、三島は『週刊読売』に「俳優に徹すること ― 杉村春子さんへ」という記事を発表した。 同年12月、三島、矢代静一、松浦竹夫のほか、青野平義、奥野匡、荻昱子、賀原夏子、北見治一〔北見治一『回想の文学座』(中公新書、1987年)に、当事者としての見解を述べている。〕、丹阿弥谷津子、寺崎嘉浩、中村伸郎、仁木佑子、真咲美岐、南美江、宮内順子、水田晴康、村松英子ら10数名が次々と文学座を正式に脱退する。1964年(昭和39年)1月10日に脱退者によりグループNLT(1968年に劇団NLTとして再編)が設立され、岩田豊雄(獅子文六)、三島が顧問として迎えられた。NLTとはラテン語で「新文学座」を表すNeo Litterature Theatreの頭文字で、岩田豊雄により命名された〔『三島由紀夫事典』(勉誠出版、2000年)〕。 なお、『喜びの琴』は1964年(昭和39年)5月7日に、日生劇場で浅利慶太の演出により上演された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜びの琴事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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