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喜友名 嗣正(きゆな つぐまさ、1916年4月5日〔1912年出生という説もある。〕-1989年6月)、沖縄県と台湾の政治活動家。沖縄県出身。唐名は蔡璋。沖縄の日本復帰に反対し、琉球の独立、或は中華民国(台湾)への編入を主張した。 ==生涯== アメリカ合衆国ハワイ州のホノルル市で生まれた。琉球王国久米村の久米三十六姓の蔡堅(喜友名親雲上)の子孫である。蔡氏の祖先は中国福建省泉州府の南安県(現在の福建省泉州南安市)。幼少期から父親に伴われて、東南アジアやサイパン島等で生活した。その後、琉球水産学校製造科、ハワイホノルルキリスト学校を卒業。 *1933年(昭和8年) 沖縄県の水産試験場の技師となる。 *1935年(昭和10年)ハワイで「實業之ハワイ」新聞社で編集に携わる。 *1941年(昭和16年)5月、秘密結社琉球青年同志会を結成し、自から理事長となる。此後沖縄と台湾の間を頻繁に往来し沖縄の日本からの離脱と独立運動に携わる。 *1943年(昭和18年)台湾へ渡り、台湾総督府の琉球疎散居民輔導員となる。 *1945年(昭和20年)8月、日本の敗戦により沖縄は米国の統治となったが、琉球青年同志会の名称を改め基隆を本拠地に琉球革命同志会とした。〔「呉鉄城上総裁報告」、『琉球特档』、中国国民党党史館蔵、特18/1-39、1948 年 8 月2 日。〕 *1947年(昭和22年)10月26日、中華民国政府の行政院院長張群に請願し、中華民国政府に「琉球收回」を要求。 *1948年(昭和23年)7月8日、「台湾省琉球人民協会」申請し成立させ、自らをこの協会の理事長及び「中琉文化経済協会」常務理事、台湾在住の沖縄県出身者のリーダーとなった。沖縄県出身者のリーダー的な立場で台北の政界で活躍し台湾省の参議院に当選した。 *1958年(昭和33年)11月、中国国民党琉球支部の党員として琉球国民党を登記し成立させて大宜味朝徳を党首とし、自らは副党首兼外交部長となった。この政党のイデオロギーは中国国民党と相似しており、反共主義とともに、琉球独立を主張した。また喜友名嗣正自身は台湾に居住し琉球国民党の台湾支部を設立した。 *1961年(昭和36年)琉球国民党涉外部部長の名義を発表、アメリカが沖縄を日本への復帰に反対し、琉球独立を主張した。 *1972年(昭和47年)沖縄が日本へ復帰すると、沖縄へ戻り琉球独立論を主張したものの沖縄政界での影響力は小さかった。 *1989年(平成元年)6月 沖縄で死去。著作として『琉球亡国史譚』がある。 喜友名嗣正から琉球独立運動の影響を受けた主要な人物としては、大浜孫良・崎間敏勝・野底武彦・新垣弓太郎・大宜味朝徳・比嘉康文(『沖縄通信』の記者)らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「喜友名嗣正」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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