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喜名哲裕 : ミニ英和和英辞書
喜名哲裕[きな てつひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [な]
 【名詞】 1. name 2. reputation 

喜名哲裕 : ウィキペディア日本語版
喜名哲裕[きな てつひろ]

喜名 哲裕(きな てつひろ、1976年12月10日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。
==来歴==
1992年に那覇西高校へ進学。1994年度の全国高校選手権では、ドリブルで50メートルを独走してゴールするなど中盤で鮮烈な印象を残しベスト8入り。優秀選手に選出された。
1995年に高校を卒業し、Jリーグ名古屋グランパスエイトへ加入。石川研に次いで沖縄から2人目、フィールドプレーヤーとしては沖縄初のJリーガーとなった。アーセン・ベンゲル監督による抜擢の下、同年6月のベルマーレ平塚戦でプロ初出場を果たし、翌1996年にはカップ戦含め38試合に出場する活躍ぶりを見せていたが、その後は右膝怪我との戦いが続き、1998年にはオランダへ渡って長期リハビリに臨むことになるなど 2年もの間プレーから遠ざかった。
2000年、FC東京期限付き移籍〔 名古屋グランパスエイト (2000年1月19日)〕。2001年に完全移籍へ移行〔 名古屋グランパスエイト (2000年12月26日)〕〔 FC東京 (2000年12月26日)〕。中盤底の位置から、劣勢時に的確なボール保持と展開力で試合の流れを引き戻す 攻撃のジョーカー役として重宝された。しかし2002年より宮沢正史‎の台頭を受け、出場機会を激減させていた。
2004年以降、大宮アルディージャ〔 FC東京 (2003年12月22日)〕〔 大宮アルディージャ (2003年12月22日)〕、アビスパ福岡〔 大宮アルディージャ (2005年2月10日)〕〔 アビスパ福岡 (2005年2月10日)〕、東京ヴェルディ19692月のトピックス / 喜名哲裕選手、移籍のお知らせ アビスパ福岡 (2006年2月15日)〕〔喜名哲裕選手加入のお知らせ 東京ヴェルディ1969 (2006年2月15日)〕 とJ2所属クラブを渡り歩いた。2005年には古傷の右膝を手術。
2007年、JFL・ロッソ熊本(後のロアッソ熊本)へ移籍〔喜名哲裕選手 ロッソ熊本移籍のお知らせ 東京ヴェルディ1969 (2007年1月26日)〕。中盤でゲームをコントロールする役割を与えられ〔喜名(那覇西高校出)JFL熊本へ「J昇格に貢献したい」 琉球新報 (2007年1月31日)〕、同年のリーグ準優勝及びJ2昇格に貢献した。2008年は2年ぶりとなるJ2での戦いとなったが、中盤での展開力は健在で、左右にボールを散らし攻撃の起点となった〔【J2:第37節 熊本 vs 横浜FC】プレビュー (cache ) J's GOAL (2008年9月22日)〕。2009年は右膝関節の手術によって出遅れたことから〔喜名 哲裕 選手のケガについて (cache ) J's GOAL (2009年2月21日)〕 1試合の出場に留まり、同年を持って熊本を退団〔 ロアッソ熊本 (2009年11月27日)〕。
2010年からは地元沖縄の沖縄海邦銀行SCでプレー。2011年にB級コーチライセンスを取得〔 日本サッカー協会 2011.04.14〕。2012年8月末に引退セレモニーが行われた〔元Jリーガー喜名引退「支えてくれた周囲に感謝」 琉球新報 (2012年8月30日)〕。2016年より新設のFC琉球U-18ユース監督に就任〔U-18ユース(監督・喜名哲裕)、U-15那覇ジュニアユース(監督・大塚智之)を設立 FC琉球 (2015年9月14日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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