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喜多流 : ミニ英和和英辞書
喜多流[きたりゅう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
  1. (n,pref) multi- 
: [りゅう]
  1. (n,n-suf) style of 2. method of 3. manner of 4. school (of thought) 

喜多流 : ウィキペディア日本語版
喜多流[きたりゅう]
喜多流(きたりゅう)とは、日本の伝統芸能である能楽のうち、のシテ方の流派である。
==概要==
江戸時代初期に興った新興流派で、金剛流の流れを汲む。流派の祖は徳川秀忠に庇護を得ていた喜多七太夫。七太夫は金剛太夫(金剛流の家元)弥一の養子となり金剛太夫を継承したが、弥一の実子・右京勝吉の成人後に太夫の地位を譲った。その後、徳川秀忠徳川家光の後援を受けて元和年間に喜多流の創設を認められ、喜多流は四座の次に位置する立場となった。現在、五流の内では最も規模の小さい流派である。しかしながら、幕末石高は200石で金剛流よりも100石多かった。幕末の宗家は濱町袋町に在住していた。
武士気質で素朴かつ豪放な芸風で、豊臣時代から初世と交流のある福岡藩黒田家など、大名家の(津軽藩仙台藩水戸藩彦根藩井伊家)、紀州藩広島藩松山藩熊本藩細川家)等)にも採用された。徳川幕府瓦解後、一時は廃絶の危機に瀕するが、十四世喜多六平太という名人が登場し、流派は生きながらえた。また浅野家井伊家藤堂家山内家等の旧藩主の協力や、喜多流に属する地方の能楽師たちも流派の存続に尽力した。
大正・昭和期の名人として喜多実後藤得三ついで友枝喜久夫友枝昭世親子、粟谷菊生塩津哲生らが知られている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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