翻訳と辞書
Words near each other
・ 喜連川テレビ中継局
・ 喜連川丘陵
・ 喜連川五月女坂の戦い
・ 喜連川人車軌道
・ 喜連川人車鉄道
・ 喜連川優
・ 喜連川刑務所
・ 喜連川判鑑
・ 喜連川国朝
・ 喜連川城
喜連川宜氏
・ 喜連川家
・ 喜連川宿
・ 喜連川尊信
・ 喜連川彭氏
・ 喜連川恵氏
・ 喜連川昭氏
・ 喜連川村
・ 喜連川氏
・ 喜連川氏信


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

喜連川宜氏 : ミニ英和和英辞書
喜連川宜氏[きつれがわよろしし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むらじ, れん]
 【名詞】 1. party 2. company 3. group 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

喜連川宜氏 : ウィキペディア日本語版
喜連川宜氏[きつれがわよろしし]

喜連川 宜氏(きつれがわ のりうじ)は、江戸時代後期の大名下野喜連川藩の第10代藩主。
細川定良肥後宇土藩細川興文の四男である孝応の次男)の長男で、初名は細川 孝常(たかつね)。
== 生涯 ==
安政5年(1858年)12月24日、下野喜連川藩第9代藩主・喜連川煕氏の婿養子となる。もともと煕氏には同じ細川家から迎えた養嗣子・紀氏細川斉護の六男)がいた。しかし安政5年(1858年)4月、煕氏は紀氏との養子縁組を解消した。一説には紀氏が喜連川藩を継ぐのを嫌がり、藩から脱走したためとされる。そこで煕氏は、あらためて同年12月に同じく宇土細川家から孝常(宜氏)を養嗣子に迎えたのである。
万延元年(1860年)12月1日、将軍徳川家茂御目見する。文久元年(1861年)12月、家督を相続する。文久2年(1862年)5月3日死去、享年29。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「喜連川宜氏」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.