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嗚呼バラ色の珍生 : ミニ英和和英辞書
嗚呼バラ色の珍生[ああ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

嗚呼 : [ああ]
  1. Ah! 2. Oh! 3.Alas!
: [しきさい, いろ]
 【名詞】 1. (1) colour 2. color 3. (2) sensuality 4. lust 
: [ちん]
  1. (adj-na,n) rare 2. curious 3. strange 
: [せい, なま]
  1. (adj-na,n,adj-no) (1) draft (beer) 2. draught 3. (2) raw 4. unprocessed 

嗚呼バラ色の珍生 ( リダイレクト:嗚呼!バラ色の珍生!! ) : ウィキペディア日本語版
嗚呼!バラ色の珍生!![ああ ばらいろのちんせい]

嗚呼!バラ色の珍生!!』(ああ バラいろのちんせい)は、日本テレビ1994年10月27日から2001年3月15日にかけて、約6年半の間放送していた島田紳助司会のヒューマンバラエティ番組。略称は「バラ珍」。放送日時は毎週木曜 19:00 - 19:54 (JST) 、1999年4月以降は19:58まで放送。
==概要==
1987年まで同局で放送されていた『それは秘密です!!』の親族との再会のコーナーを形を変えて復活させ、『目撃!ドキュン』『完全特捜宣言!あなたに逢いたい!』(共にテレビ朝日系)と同様、1990年代の人探しバラエティ・公開捜査の元祖とも呼べる番組。毎回、生き別れになった肉親や家族、大事な人を捜してほしいと視聴者が番組に依頼し、半年単位でスタッフが探し、見つかった際には感動のご対面が行われるという、前述の番組群とほぼ同じ流れで進行していた。
放送当初の半年間は、それ以降とは番組の内容が全く異なり、出演した素人の不幸話VTRに対し、徳光和夫らパネラー陣が(後にフジテレビ系で放送された『トリビアの泉』の「へぇボタン」と同じ要領で)席のボタン(得点を加算するプラスボタンと減算するマイナスボタンの2種類)を押して評価するというものであった。ボタンを押した回数の合計で最終的な評価が決まり、賞金(番組内では「お小遣い」と呼ばれていた)を貰えた。パネラーの中でも特にトミーズ雅は話の内容よりも出演素人への興味で他のパネラーよりも多くの回数ボタンを押しており、紳助がその都度減算していた。
オウム真理教事件が起きたため、1995年4月20日から同年5月11日までオウム真理教事件関連番組(『NNNニュースプラス1』の拡大版)が編成され、当番組は一時休止する。
そして5月18日のプロ野球中継を挟み、5月25日から番組内容を一新。前半は主に苦手だったことを克服するなどのチャレンジャーを追うドキュメンタリーコーナーを放送、後半は生き別れの家族などを捜索する(後半のコーナーのように、テレビを通じて捜査協力を呼びかける、いわゆる「公開捜査」のスタイルは、テレビ朝日系『奇跡の扉 TVのチカラ』などでも使用されている)コーナー、および同局系『それは秘密です!!』『ルックルックこんにちは』「小金治の涙のご対面」コーナーを引き継ぐ形で涙のご対面のコーナーとなった。
この涙のご対面が好評で、次第に人気番組に駆け上がり、2時間スペシャルでは番組丸ごとをご対面に使ったり、レギュラー放送でも2組のご対面を行ったこともある(通常は1組)。また、この形式のヒューマンバラエティーが当時人気を博していたため、この時期は他局でもそれぞれ違う曜日に19時台にこのタイプの番組を放送していた。涙のご対面は過去183組が果たしている。番組は最高視聴率25.0%(関東地区)という人気番組に成長した。
依頼人が捜索依頼している人物が見つかったときに、司会の紳助が「我々スタッフが一生懸命、一生懸命捜しました。○○さん見つかりましたよ」などと依頼人に語りかけるシーンが番組のハイライトである。紳助はもちろん、レギュラーパネリストの徳光はじめ出演者全員の大号泣シーンが随所で映し出されていた。中でも徳光の泣きっぷりがまさに小金治を彷彿させるものであった。ものまねタレントコージー冨田が紳助ものまねのレパートリーとして使用している。
もっとも、依頼人が高齢者で、「数十年前の恩人を捜してもらいたい」などといった古い依頼の場合、捜していた相手が既に亡くなっていたという例も何度かあった。そのような場合には、亡くなった本人の家族が代理としてスタジオに登場し、依頼人から感謝の言葉を受けていた。
また、ある男性から生き別れの母親を捜してもらいたいという依頼があり、母親は見つかったものの、対面の直前に依頼人が不慮の事故に遭ってしまい、病院で昏睡状態のまま再会するという悲劇もあった(その後、依頼人は意識を取り戻すことなく、母親に見守られながら息を引き取ったという)。
番組の中で生き別れの家族を捜したところ、捜す相手の家族側が、他局であるテレビ朝日の『目撃!ドキュン』でこちらを捜しており、放送前に両局で調整が行われるという珍事もあった。
その他、ある女性から生き別れの姉を捜してもらいたいという依頼があった時、依頼人の希望通り姉は見つかったが、その姉から事情をくわしく聞いたところ、実は依頼人が物心つく前に生き別れとなった姉がもう1人いることが判明。番組のスタッフは依頼人に内緒でもう1人の姉も捜し出し、三十数年ぶりの三姉妹感動の再会を実現させた。スタッフの捜していた相手が新たな依頼人になったという、非常に珍しいパターンであった。
1997年12月31日 18:30 - 21:00には、『嗚呼!バラ色の珍生!!今年最後の泣き納め!超強力!感動の生放送涙のご対面スペシャル』と題した特別番組が放送され、1997年放送当時に数か月に渡って捜索していた、ご対面は困難とされていた生き別れになった親子のご対面を、大晦日の生放送に実現させるなど、当時の日本テレビを代表する番組となっていた。
後にAKB48のメンバーとなる大島優子が子役時代に再現VTRに出演したことがある(2010年5月22日放送『メレンゲの気持ち』より、本人談)。また、楽しんごも出演経験がある(2011年3月7日放送『人生が変わる1分間の深イイ話』より)。
涙のご対面の時に多くの回で久石譲の曲が使われており再開の瞬間にはBGMに「TwoofUs」が使用され、捜索者募集の時のBGMには「Highlander」が使用されていた。
また映画「ラスト・オブ・モヒカン」の曲も多くの回で使用されていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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