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嘉山孝正 : ミニ英和和英辞書
嘉山孝正[かやま たかまさ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [こう]
 【名詞】 1. filial piety 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

嘉山孝正 : ウィキペディア日本語版
嘉山孝正[かやま たかまさ]
嘉山 孝正(かやま たかまさ、1950年2月19日 - )は、日本医師。専門は脳神経外科学(とりわけ脳腫瘍)。現在は、山形大学医学部参与、次世代型重粒子線治療装置研究開発室長、国立がん研究センター名誉総長「国立がん研、嘉山氏に「名誉総長」」 『山形新聞』2012年7月3日〕。山形大学医学部脳神経外科学講座教授、同附属病院長、同学部長として、山形大学医学部および附属病院の改革者として名を馳せ〔中井浩一「悩み深い地方国立大学―山形大の挑戦」『都市問題』99 (2)、2008年。〕〔「山形の強烈改革」 高知新聞』2008年6月23日付夕刊。〕、2010年4月からは独立行政法人化した国立がん研究センター(旧国立がんセンター)の初代理事長を務め、短期間のうちに組織改革を断行し成果を上げた〔。さらに、近年では、日本の医療政策に関して積極的な発言を行っており、2009年10月からは中央社会保険医療協議会(中医協)委員も務め、2013年9月からは日本脳神経外科学会の第4代理事長に就いている。
== 人物・来歴 ==
1950年、神奈川県生まれ。神奈川県立湘南高等学校を卒業後、東北大学医学部に進学。同大学卒業後、ギーセン大学留学、東北大学医学部附属病院講師などを経て、1994年に助教授として山形大学に赴任。1996年からは教授。2002~2003年に山形大学医学部附属病院長を併任。2003年10月から2010年3月まで山形大学医学部長を務める。
世界で初めてヒトの悪性腫瘍内の低酸素細胞の存在を証明し、その治療薬を開拓し特許を取得。専門である神経膠芽腫の悪性脳腫瘍治療に関する臨床研究のほか、脳梗塞の治療薬の開拓などにも尽力している。さらに、国内初の内視鏡を用いた脳下垂体腫瘍の手術を開拓し、後遺症の発生を防ぐ覚醒下手術を実施し、専門学会を創設するなど、その普及に努めた〔「<第65回河北文化賞>高度医療発展に尽力」 『河北新報』2016年1月1日〕。2004年の『週刊朝日』の特集「名医が選ぶ名医」では、脳腫瘍部門にその名が挙がった。2007年度からは、厚生労働省の予算で脳脊髄液減少症の科学的診断および治療のガイドラインを作成する研究班の班長に、また2003年より「放射線による認知機能障害を回避する転移性脳腫瘍の治療法」に関する研究の研究班の班長に就いている。
学外では、脳神経外科関連学会(日本脳神経外科会、日本脳ドック学会、日本脳卒中の外科学会、日本脳腫瘍学会ほか)の学会長を務め、日本脳神経外科学会学術委員長、世界脳神経外科学会連盟エグゼクティブ・コミッティー、名誉副会長、米国脳神経外科学会評議員、全国医学部長病院長会議専門委員会委員長会委員長、相談役ほかの役職を歴任
厚労省の各種委員会委員としても活躍し、2008年には、当時の舛添要一厚生労働大臣から直接の要請を受け厚労省の「『安心と希望の医療確保ビジョン』具体化に関する検討会」に委員として参加。現場からのデータや実績を示すことで、医学部定員数抑制政策からの転換に大きな役割を果たした〔舛添要一『舛添メモ――厚労官僚との闘い752日』(小学館、2009年)、p.65〕。その後、引き続き、「臨床研修制度のあり方等に関する検討会」の委員に就き、日本の医療政策に対して強い言論を発し続けた。また、厚労省の「医療事故調」案には、強く反対している。
さらに、2009年10月には中央社会保険医療協議会(中医協)の委員に就き、「実施した医療行為に見合った報酬を受け取れる体系にすること」を目指している〔「医師の仕事が正しく評価される」報酬体系を目指す - 山形大学医学部長・嘉山孝正氏に聞く」 m3.com 2009年10月31日。〕。
2010年1月、国立がん研究センター(旧国立がんセンター)の理事長公募に応じ、5名の候補者の中から初代理事長に選任された〔厚生労働省:独立行政法人国立がん研究センター理事長の公募について 〕。2010年4月1日、国立がんセンター理事長に就任。長年におよぶ財政悪化の元凶と言われる厚生労働省からの干渉を排除しつつ、コスト意識を高めて借金を大幅に圧縮、がん患者のための改革を次々と打ち出し、改革初年度で早くも30億円の黒字に転換した〔「国がん、国循、独法化1年の“成績”―組織・職員の意識改革を推進、当初目標を上回る利益」 『m3.com』2011年7月21日〕。改革の取り組みは、一般紙・業界紙を問わず取り上げられ、たとえば、2010年6月26日の『朝日新聞』土曜版(be)「フロントランナー」の記事〔「国立がん研究センター理事長嘉山孝正さん」 『朝日新聞』2010年6月26日土曜版1面、3面〕はマイケル・ムーアに次ぐ年間ランキング第4位となった。
こうして、就任時に立てた5年間の中期計画の目標の95%を2年間で達成すると〔「「着工判断、1年内の勝負」嘉山孝正氏 山形大「重粒子線がん治療施設」準備室長」 『山形新聞』2012年4月3日〕、2012年4月に山形大学に復職。2012年7月2日には、がんセンターでの功績に対して史上7人目となる名誉総長の称号が贈られた〔。復職後は、脳神経外科学講座教授のほか、山形大学学長特別補佐、重粒子線がん治療施設設置準備室長を併任し、東北地方で初となる重粒子線がん治療装置の設置を目指すことになった〔「東北初の重粒子線がん治療、山大準備室長に嘉山氏」 『読売新聞』2012年3月7日〕。
2013年9月には、日本脳神経外科学会の理事長に就任し、「学会は若い会員の業務を守るとともに、とんでもない医者がいたら“自浄”する。学会に『自立、自律、自浄』の考えを持ち込み、業務内容も国民にしっかり開示する」としている〔「嘉山さん、日本脳神経外科学会理事長に 山形で祝う会「皆さんのおかげ」」 『山形新聞』2014年1月22日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「嘉山孝正」の詳細全文を読む




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