|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 門 : [もん] 1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons ・ 達 : [たち, たっし] 1. (n-suf) plural suffix ・ 夫 : [おっと] 【名詞】 1. (hum) (my) husband
嘉門 達夫(かもん たつお、男性、1959年3月25日 - )は、日本のシンガーソングライター。さくら咲く所属。大阪府茨木市出身。血液型は、A型。本名:鳥飼 達夫(とりかい たつお)。既婚(2008年に49歳で結婚)。 == 略歴 == *1959年3月25日、大阪府茨木市に生まれる。茨木市立中条小学校→茨木市立養精中学校→大阪府立春日丘高等学校卒業。小学校6年の時に近所に日本万国博覧会(大阪万博)が開催される。以降熱狂ファンになり、足繁く通いピンバッジを収集。コレクション数は64でクラスの3位になった。中学時代にギターを始めこの頃にデビューしたあのねのねに影響を受け、自らテープに自作の音を録音していた。高校時代には笑福亭鶴光への弟子入りが決まっていたために3年の時には友人らと自主制作の映画撮影に没頭。 *1975年 - 大阪府立春日丘高等学校在学中(当時16歳)、笑福亭鶴光(当時27歳)に弟子入り。友人が運転するカブで鶴光を追跡し、弟子入りを志願。弟子入りが決まった当時は高校在学中だったので、鶴光の勧めもあって、最初は放課後師匠の家に行く「通い弟子」の形を取っていた。高校卒業後は鶴光邸に住み込み、二番弟子として“笑福亭 笑光”(しょうふくてい しょうこ)の名をもらう。所属事務所は松竹芸能。同期に後に『笑っていいとも!』で共演するタモリがいる。 *1978年 - 『MBSヤングタウン』(以下ヤンタン)にレギュラー出演。 *1980年 - 笑福亭鶴光から破門を宣告され、松竹芸能との専属契約を解除される。担当番組も全て降板。その後、「自らを見つめ直す」という理由でほどなくして日本放浪の旅へ。与論島やスキー場でアルバイトをしながら今のコミックソングのスタイルに行き着き、自らの目指す方向性を確立する。 *1981年 - 日本を放浪の後に「次は海外へ放浪しようか」と考えていた頃、偶然にもスキー場で作った曲が芸能プロダクション・アミューズの大里洋吉会長(当時)の耳に止まり、サザンオールスターズの「チャコの海岸物語」をアミューズの契約社員として有線などへの営業回りの仕事をすることに。この時の縁がきっかけでサザンのコンサートの打ち上げなどにも参加することもあり、バンドフロントマンの桑田佳祐とも面識が出来る。その後桑田とも親しくなり、桑田に自らの芸名を考えて欲しいと依頼(桑田に依頼した理由は、所ジョージの芸名の名付け親がミュージシャンの宇崎竜童だったという話に起因していると後に本人が語っている)。最初、桑田は“カメリア・ダイヤモンド”という名前を考えたが、嘉門が却下。その後、桑田が別の活動の時に使用していた“嘉門雄三”の苗字を譲り受ける。以降、“嘉門 達夫”と名乗るようになった〔<私の恩人>嘉門達夫 名付け親は桑田佳祐さん 「サザン」の曲も好きに使っていいと許された THE PAGE2013年8月18日〕。その後、ヤンタンにも復帰する。 *1982年 - 10月「寿限無NO.1」(森雪之丞プロデュース)をコロムビアレコードから発売し歌手デビューする。 *1983年 - シンガーソングライターデビューし、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」をリリース。当初は自主制作盤だったが、少しずつ話題を獲得し7月にコロムビアレコードより発売され、読売テレビ有線放送大賞(大阪有線主催)とTBS有線大賞(キャンシステム主催)で新人賞受賞。 *1984年 - 6月 『水曜スペシャル 川口浩探検隊』のパロディソング「ゆけ!ゆけ!川口浩!!」をリリース。 *1989年 - 7月 代官山プロダクション(以下代プロ)へ移籍。同時に、レコード会社も日本コロムビアからビクター音楽産業へ移籍。 *1991年 - 「替え唄メドレー」が82万枚〔[長寿のヒミツ]音楽と笑い融合嘉門達夫バカソング一筋25年 、スポーツ報知、2008年6月10日。〕のセールスを記録。自身最大のヒット曲となる。 *1992年 - 『第43回NHK紅白歌合戦』に「替え唄メドレー〜紅白バージョン」で出場。 *1994年 - 1月1日に発売した「スモーキンブギレディース」を皮切りに、月に1枚のペースでシングルやアルバムを発売するという「マンスリーCDリリース計画」を敢行。 *1997年 - ビクターから代プロの自社ブランド・DAIPRO-Xへ移籍。移籍第1弾「新・替え唄メドレー」をリリース。 *2000年 - トレードマークであった黒髪のオールバックから金髪へとイメージチェンジ。 *2002年 - 「ガッツ石松伝説」をリリース。二年後の2004年にはなわが「伝説の男 〜ビバ・ガッツ〜」をリリースした際にははなわに盗作疑惑がかった。 *2003年 - 4月 デビュー20周年記念アルバム『達人伝説』をリリース。 *2003年 - 6月 初のDVDメディア作品『達人伝説』をリリース。 *2005年 - 1月5日 ニューヨークのアポロ・シアター「アマチュアナイト」に出演。当時流行っていた『ラストサムライ』『キル・ビル』の影響を受けサムライの格好で切腹のパントマイムをした後、ギターを持ちブルースを歌う予定だったが、歌う前のパフォーマンスでブーイングを受け退場。 *2005年 - 1月 コロムビア時代の曲を集めたアルバム『嘉門達夫ゴールデン☆ベスト -オールシングルス&爆笑セレクション1983〜1989-』をリリース。 *2005年 - 4月 東京都立翔陽高等学校校歌「はばたけ!未来へ」の作詞・作曲を担当。 *2006年 - 7月 GyaOの番組『嘉門達夫のナリキン投稿天国』から誕生した“嘉門達夫とナリ天ボーイズ”が歌う「恋のチャルメラ ププッピ ドゥー!」をリリース。 *2008年6月現在、シングルとアルバムを合わせた累計売上は847万枚〔。 *2009年 - 9月 個人事務所・さくら咲くを設立し、独立。同月には、かつて所属していた代官山プロダクションが倒産している。またこの頃から、使用するギターが長年愛用していたTakamineから、K.Yairiのカスタムメイドギターに変わっている。 *2010年 - 5月 上海万国博「日本産業館」応援団長就任。 *2013年 - 5月 『歌ネタ王決定戦』決勝進出。 *2013年 - 7月 芸能生活30周年を記念し、大阪万博記念公園で「真夏のカモン!EXPO! 歌と笑いと食のワンダーランド」を開催。明石家さんま、桂雀々、北野誠、ワハハ本舗(久本雅美、梅垣義明のみ)、スターダストレビュー、きたやまおさむ、押尾コータロー、ET-KINGら芸人・歌手仲間が多数出演した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘉門達夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|