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四季の花範雄(しきのはな のりお、本名相内範雄、1937年1月2日 - )は、大相撲の元高島部屋・宮城野部屋の力士。青森県弘前市出身(出生地は北海道稚内市)。身長180cm、体重136kg。得意手は左四つ、寄り。最高位は西十両13枚目(1964年3月場所)。 甥に長谷川勝敏がいる(四季の花の姉が長谷川の母親)。 ==来歴・人物== 元々は漁師をする傍らボクサーを目指していたが、漁で負傷した時にやって来た吉葉山率いる巡業の興行主が兄の友人であった関係で兄から誘われて巡業を観に行くと入門を勧められ、「遊んでてもしょうがないから相撲取りになろう」と考え、1955年1月場所に初土俵を踏んだ。 幕下上位にいた頃、同じく幕下上位にいた甥の長谷川と割が組まれたことがあったが、これを知った師匠の宮城野親方(吉葉山)が「十両昇進がかかる大事な場所であらぬ疑いをかけられては困る」と割返しを求め、これが認められて対戦を回避したことがある。なお、現在の規則であれば甥と叔父がたとえ違う部屋に所属していても割は組まれない。 その後1963年5月場所に十両に昇進するが、十両では壁にぶつかったか通算5場所務めるに止まった。1973年7月場所をもって廃業。 四股名の改名が非常に多く、相内→稚登勢洋→千登勢洋→稚登勢洋→北嵐→四季の花→相内と通算で6度行っている。なお、十両時代は四季の花で通している。 現役時代は幕下暮らしが多かったが結婚しており部屋の外で妻と同居していた。当時は取的の中にも副業で収入を得る者も多く、四季の花も家庭を維持する収入源を有していたためこれが黙認されていた。 相撲界を引退した後は建材業を営んでいたが、1980年5月週刊ポストに大相撲における八百長告発手記を発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四季の花範雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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