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糠部郡(ぬかのぶぐん)とは、かつて陸奥国にあった郡。現在の青森県東部から岩手県北部にかけて広がっていた。 == 歴史 == かつて奥六郡の北には郡は置かれなかったが、延久蝦夷合戦の結果、糠部郡、鹿角郡、比内郡、津軽平賀郡、津軽田舎郡、津軽鼻和郡が建郡された。 建郡の時期は文献がないため不明だが、清原真衡の時代という説と藤原清衡の時代(奥州藤原氏)という説がある。 文治5年(1189年)藤原清衡が滅びると奥州は源頼朝の支配下に入り、関東御家人への恩給が行われたが、糠部郡に関する記録はない。 当郡の支配関係が記録に見えるのは、寛元4年(1246年)北条時頼が「陸奥国糠部五戸」の地頭代職に左衛門尉平(三浦)盛時を補任したことが初めてである。 糠部郡内の地頭・地頭代職の伝領〔浪岡町史-1 p.704〕 元弘4年(建武元年 1334年)陸奧国府の北畠顕家は南部師行に対して信濃前司入道(二階堂行珍)の代官を久慈郡に入部させよと命じており。平泉藤原氏の時期から、現在の久慈市域(九戸郡の一部)とほぼ一致する郡域が古代閉伊郡から分離独立したものとみられ、鎌倉末期には糠部、岩手、久慈、津軽四郡など北条氏所領群の一角をなしていたと推定される。 寛永11年(1634年)糠部郡は、北郡、二戸郡、三戸郡、九戸郡に分割された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「糠部郡」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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