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オーストラリア記念館(オーストラリアきねんかん)は、三重県四日市市にあった観光・イベント施設。1970年(昭和45年)に開かれた日本万国博覧会 (大阪万博) のオーストラリア館が、シドニー港と四日市港の姉妹港提携 (1968年) のシンボルとして移設されたものである〔:941ページ〕。オーストラリア関連資料、愛・地球博(愛知万博)で展示された巨大なカモノハシの模型が主要な展示物であった。円形ホールは多目的貸ホールとしても使われていた。恐竜の首にたとえられる、片持梁(スカイフック)がワイヤーネットによって、屋根をつるしている特徴的なデザインであり、設計はジェームズ・マコーミック(''James McCormick'')が行った。 == 施設の概要 == 「将来永久に日豪親善のモニュメントとして活用する」ために大阪万博会場から四日市へ移設されたものであった〔:323ページ〕。愛・地球博の目玉展示であったカモノハシを受け入れたり〔"カモノハシ四日市定住 オーストラリア記念館改装"2006年4月2日付朝日新聞朝刊、三重版27ページ〕、日豪交流年に合わせて開かれた「2006オーストラリアフェア」(2006年10月21日・22日)の会場になったりと〔"カンガルー人気、豪州フェア開幕 四日市、きょうまで"2006年10月22日付朝日新聞朝刊、三重版25ページ〕日豪交流の場として利用されることもあったが、格闘探偵団バトラーツや大日本プロレスなどのプロレスリング興行会場として多く利用されていた〔"プロレスの館?豪記念館は盛況 中小興行団体に人気"2000年3月31日付朝日新聞朝刊、三重版34ページ〕。2000年(平成12年)2月にはミル・マスカラスが来館している〔。 運営は三重県庁や四日市市役所、四日市港管理組合などが出資する、財団法人日本万国博オーストラリア記念館〔伊勢新聞"四日市 豪記念館の存続危機 受取先見つからず "<ウェブ魚拓 >2013年6月19日(2013年7月12日閲覧。)〕、施設管理は四日市市文化まちづくり財団が行っていた〔岡正勝"オーストラリア記念館:存続の危機 大阪万博から三重・四日市に移設 引き受け手、見つからず 運営法人、11月末で解散 "<ウェブ魚拓 >2013年6月3日付毎日新聞中部夕刊〕。休館日は月曜日と祝日の翌日で、展示館の入館料は無料であった〔が、2011年(平成23年)度の入館者数は6,626人と低迷していた〔。ホールの使用料金は周辺の運動施設に比べて低く抑えられていた〔。 独立行政法人日本万国博覧会記念機構(大阪府吹田市、2014年3月限りで解散)によると、大阪万博は76の国や地域が参加して開催され、外国パビリオンのうちで少なくとも23施設では全体やその一部移設されている。それらの中で、2012年当時現存していた建造物中オーストラリア記念館は最大規模のものであった。 万博のオーストラリア館は、「人類の進歩と調和に対するオーストラリアの貢献」をテーマとした展示施設であり〔:2ページ〕、葛飾北斎の版画(神奈川沖浪裏〔"澄む秋空、開く臨港橋 四日市"2001年11月9日付朝日新聞朝刊、名古屋版29ページ〕)にインスピレーションを得て設計された建築物であった〔四日市市 編(1998):321ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「オーストラリア記念館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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