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四日市ぜんそく(よっかいちぜんそく)は、三重県四日市市(塩浜地区を中心とする四日市市南部地域・四日市市中部地域)〔塩浜地区など四日市市南部地域と海蔵地区など四日市市中部地域のみで四日市公害が発生した。四日市市北部地域の富田地区・富洲原地区と四日市市西部地域は四日市公害の被害とは無関係である〕と、南側に隣接する三重郡楠町(現:四日市市)〔四日市市のみの公害と誤解されるが隣接する三重郡楠町にも公害患者が多数いた〕で、高度経済成長期の1960年(昭和35年)から1972年(昭和47年)にかけて政治問題化した四日市コンビナートから発生した大気汚染による集団喘息障害である。四大公害病の一つ。漢字では、四日市喘息と表記する。水質汚染を含めた環境問題としては、四日市公害と呼ばれている〔簡易表記や教育内容の教科書や正式名の四日市ぜんそくの呼称以外に難解漢字表記や医学用語では四日市喘息や水質汚染や喘息以外の病気など公害全体を指す四日市公害の呼称や四日市喘息の呼称がある〕。四日市公害が発生した当時は別名では塩浜ぜんそく(四日市市内で使用された名称)〔『ガリ切りの記』生活記録運動と四日市公害(出版社)影書房(著者)沢井余志郎63頁〕の名称や、大気汚染が原因で発生した健康影響事件として〔http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2634〕四日市のぜんそく事件(国会内で使用された名称)〔四日市ぜんそくは他の三つの公害の水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病を日本政府が昭和43年に公害病と認定したが、四日市ぜんそくは日本政府の公害病認定がなくて公害病扱いされず、四日市のぜんそく事件と呼ばれていて、公害病ではなくて事件扱いされていた。〕の名称で呼ばれていた。 ==概要== 1960年代に入り、四日市コンビナート(第1コンビナートの工場群)に隣接する四日市市南部の塩浜地区で急激に喘息患者が急増して、鈴鹿川沿いの漁村で漁民の多い磯津地区は特に重症患者が多くて「塩浜ゼンソク」や「四日市ゼンソク」と呼ばれた。国会でも「四日市公害」や「四日市のぜんそく事件」と呼ばれて政治問題や社会問題になり、昭和45年の公害国会で環境問題が集中審議された。1967年の塩浜中学校3年生の女子学生の公害病(四日市ぜんそく)による死亡を契機に四日市市民の怒りが爆発して、悲惨な状況を打破するため前川辰男(日本社会党所属の四日市市議会議員)はコンビナートの企業の内、明らかに加害行為が立証された6社(塩浜地区付近の化学系企業の石原産業、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成と四日市港付近の石油系企業の中部電力、昭和四日市石油)のみに絞り込み、四日市公害訴訟を開始した。一つの企業のみの加害行為(水俣病はチッソが加害企業、イタイイタイ病は三井金属鉱業が加害企業、新潟水俣病は昭和電工が加害企業)が明らかだった他の四大公害病の水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病と比較して、複数の工場群(四日市コンビナートには多数の企業が存在する)による四日市公害を裁くのは困難を極めたが、弁護団や科学者など多くの支援によって1972年に四日市公害裁判に勝訴した〔『ファミリー版世界と日本の歴史12巻』『現代4巻21世紀への扉』72頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四日市ぜんそく」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Yokkaichi asthma 」があります。 スポンサード リンク
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