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四条家(しじょうけ)は、羽林家の家格を有する公家。藤原北家魚名流の嫡流。藤原家成の一男隆季を家祖とする。家名は、隆季が四条大宮に構えた邸宅により、大宮とも称した。分家に山科家・鷲尾家・西大路家・油小路家・櫛笥家がある。 == 概要 == 家業は料理庖丁道・笙。一条家の家礼。江戸時代の家禄は180石。外様。菩提所は鞍馬口浄善寺。 魚名流は平安時代末の顕季が正三位に叙されて以来、代々公卿に列するようになる。顕季は洛東白河に善勝寺を創建したが、やがてこれが四条流一門の氏寺となり、当主は善勝寺長者と称した。その曾孫隆季は権大納言に至り、以後これが先途となる。その子隆房は歌人として有名で、その子隆衡は後鳥羽院近臣として富威を誇った。その子隆親は初め二男隆顕を家嫡としたが、父子不和に陥ると、一男房名が家嫡となったため、鎌倉時代後期に家系は二流に分裂。隆親の孫隆資は南朝の公家大将として八幡の戦いで戦死し、その子隆俊も南朝で内大臣にまで昇ったが、隆顕流は南朝と運命をともにして断絶した。 一方の房名には子息があったにもかかわらず、家督は一門庶流の隆名が相続した。その5代の孫隆量は子息が早世したために後嗣なく、中御門家から隆永を迎えて養子とする。その孫隆益が永禄10年(1567年)没するに及んで四条家は一旦中絶するが、天正3年(1575年)冷泉為益の男で、二条家諸大夫月輪家を相続していた家賢が隆昌と改名して家名を再興。幕末・明治維新期の隆謌は尊皇攘夷派の公卿として国事に奔走し、七卿落ちの憂き目を見るも、戊辰戦争の功績により復権して、陸軍中将にまで累進した。1884年(明治17年)7月伯爵が授けられ、1891年(同24年)4月隆謌の勲功により侯爵へ陞っている。 隆謌の子隆愛も陸軍に入って騎兵少佐に進む。その子隆徳は貴族院議員を務め、1977年(昭和52年)に死没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四条家」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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