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四条 隆謌(しじょう たかうた)は江戸時代後期から明治時代にかけての日本の華族、陸軍軍人。官位は陸軍中将正四位勲二等侯爵に昇り、元老院議官・貴族院議員を務める。権大納言四条隆生(たかあり)の二男〔『明治維新人名辞典』479頁。〕で、醍醐輝久の孫。安政勤王八十八廷臣の一人。 == 生涯 == 幕末期は攘夷派公卿として幕府に建言していたが、八月十八日の政変によって失脚し一時官位を剥奪された(七卿落ち)。1867年(慶応3年)12月の王政復古で討幕派が朝廷の実権を握ると京に戻って官位を復され、戊辰戦争では中国四国追討総督・大総督宮参謀・仙台追討総督・奥羽追討平潟口総督などを務め、1869年(明治2年)6月、維新の功績により永世禄300石を与えられ、同年7月に陸軍少将に任ぜられる。 1872年(明治5年)1月には大阪鎮台司令長官に就任、1874年(明治7年)4月に名古屋鎮台司令長官に移るが、1877年(明治10年)5月には大阪鎮台司令長官を兼ねた(同年10月に兼職を免ぜられる)。1880年(明治13年)の仙台鎮台司令長官を経た後、1881年(明治14年)2月に陸軍中将に昇り元老院議官に就任する。1884年(明治17年)7月に伯爵、1891年(明治24年)4月に侯爵に昇爵し、貴族院議員となる。1893年(明治26年)12月、予備役。1898年(明治31年)11月薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四条隆謌」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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