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四条隆親 : ミニ英和和英辞書
四条隆親[しじょう たかちか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よん]
  1. (num) four 

四条隆親 : ウィキペディア日本語版
四条隆親[しじょう たかちか]
四条 隆親(しじょう たかちか、藤原 隆親(ふじわら の たかちか)、建仁2年(1202年) - 弘安2年9月6日1279年10月12日))は、鎌倉時代公卿歌人藤原北家魚名流、大納言四条隆衡の二男。正二位権大納言。善勝寺長者(四条家当主)。
== 経歴 ==
父隆衡は平清盛の外孫にあたるが、母(坊門信清の娘)の姉妹は鎌倉将軍源実朝の正室でもあった。元久2年(1205年)従五位下に叙爵。貞応元年(1222年)8月に蔵人頭元仁2年(1225年)に参議寛喜3年(1231年)権中納言、貞永元年(1232年)正二位、嘉禎1年(1235年)中納言、同4年(1238年)権大納言となる。後鳥羽上皇後堀河天皇の近臣。妻の足利能子(足利義氏の娘)は土御門天皇の第七皇子邦仁王の乳母であったが、仁治3年(1242年)正月、四条天皇が崩御した際、鎌倉幕府の意向で邦仁王が次期天皇として擁立され、隆親の冷泉万里小路第で後嵯峨天皇として践祚、能子は典侍となった。宝治元年(1247年)に中宮大夫を兼ね、宝治2年(1248年)には皇后宮大夫を兼任した。建長2年(1250年)、大納言となる。文応元年(1260年)、大納言を辞職したが、嫡子とした隆顕とは不仲で、結局、建治2年(1276年)に、隆顕は権大納言を辞職、出家し、隆親が大納言に還任した。四条家嫡流は長男の房名の系統となり、隆顕の系統は後に南朝に与して絶家となる。
弘安2年(1279年)9月6日、78歳で薨去。料理の名人であり、『宝治百首』にも「塩釜」を歌枕に詠んだ歌を採られた歌人でもあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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