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四王天 延孝(しおうてん のぶたか、1879年〈明治12年〉9月2日 - 1962年〈昭和37年〉8月8日)は、日本の陸軍軍人、政治家。ユダヤ陰謀論を唱え『シオン賢者の議定書』の邦訳などを行なった。最終階級は陸軍中将。衆議院議員。旧姓・西村。 == 経歴 == 前橋藩士・西村茂兵衛の弟として生まれ、川越藩士・四王天政彬の養嗣子となる。1899年(明治32年)11月、陸軍士官学校(11期)を卒業し、翌年6月、工兵少尉に任官し近衛工兵大隊付となる。 清国駐屯工兵中隊付などを経て日露戦争に出征。近衛工兵大隊中隊長、大本営運輸通信長官部副官、陸士教官、近衛工兵大隊付などを歴任し、1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業した。 関東都督府陸軍参謀、工兵第7大隊付、陸軍砲工学校教官、フランス軍従軍などを経て、1920年(大正9年)1月、シベリア出兵に際し浦塩派遣軍司令部付として出征し、さらに関東軍司令部付となりハルピン特務機関長を務めた。 1922年(大正11年)4月、陸軍航空学校教官となり、以後、同下志津分校長、陸軍省軍務局航空課長などの航空畑の役職を歴任し、1924年(大正13年)8月、陸軍少将に進級した。 陸軍兵器本廠付、国際連盟陸軍代表、兼同空軍代表、豊予要塞司令官、第16師団・第3師団の各司令部付などを経て、1929年(昭和4年)8月、陸軍中将に昇進し予備役に編入された。 以後、帝国飛行協会専務理事、大日本回教協会会長などを歴任した。1942年(昭和17年)の翼賛選挙では東京5区から推薦候補として出馬し、全国最高点で当選。終戦後、1945年(昭和20年)12月、A級戦犯容疑で逮捕されるが、1947年(昭和22年)に釈放された。他に国本社理事、日本反ユダヤ協会会長なども務めた。 1962年(昭和37年)8月8日午前3時頃、東京都の日本赤十字社中央病院にて老衰により死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四王天延孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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