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内藤新宿(ないとうしんじゅく)は、江戸時代に設けられた宿場の一つ。甲州街道に存在した宿場のうち、江戸日本橋から数えて最初の宿場であり、宿場内の新宿追分から甲州街道と分岐している成木街道(青梅街道)の起点でもあった。現在の住所では、東京都新宿区新宿一丁目から二丁目・三丁目の一帯にあたる。 東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた。地名から四谷新宿と呼ばれることもある。 == 開設の背景 == 慶長9年(1604年)、江戸幕府により日本橋が五街道の起点として定められ、各街道で1里(約4km)ごとに一里塚を設けたほか、街道沿いに宿場が整備された。甲州街道最初の宿場は、慶長7年(1602年)に設けられていた高井戸宿〔慶長9年(1604年)に上高井戸宿・下高井戸宿に分割され、月初から15日までは下高井戸宿が、16日から月末までは上高井戸宿が利用された。〕であったが、日本橋から約4里(約16km)と遠く離れ、徒歩を主な手段とする当時の交通には不便であった。 東海道の品川宿・中山道の板橋宿・日光街道(奥州街道)の千住宿は、いずれも日本橋から約2里の距離にあり、五街道の内で甲州街道のみが江戸近郊に宿場を持たなかった。このため、日本橋 - 高井戸宿間での公用通行に対して人馬の提供を行う必要があった日本橋伝馬町と高井戸宿は、負担が大きかったとされる。幕府成立より約100年、江戸の発展に伴い甲州街道の通行量も増加を続けていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「内藤新宿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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