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四辻宮家 : ミニ英和和英辞書
四辻宮家[よつつじのみや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よん]
  1. (num) four 
: [つじ]
 【名詞】 1. street 2. crossroad 
宮家 : [みやけ]
 (n) residence or family of a prince
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

四辻宮家 ( リダイレクト:四辻宮 ) : ウィキペディア日本語版
四辻宮[よつつじのみや]

四辻宮(よつつじのみや)は鎌倉時代に存在した宮家の一つ。史料により3代目までは確認できるが、以後の子孫は不明で、事実上断絶した宮家として扱われている。
==略歴==

===初代・善統親王===
善統親王順徳天皇佐渡島に流刑になった後の天福元年(1233年)に生まれた皇子である。彼は時期ははっきりしないが上洛して祖母・修明門院のもとで成長し、親王宣下を受け、建長3年(1233年)に祖母から七条院領を相続した。その後、祖母の住まいであった一条万里小路にあった御所・
四辻殿を相続したらしく、以後四辻宮と呼ばれるようになった。弘安3年(1280年)・正応2年(1289年)5月の2回に渡り七条院領を後宇多天皇に進献したが、正和3年(1314年)7月に後醍醐天皇から一部(17カ所)を還付される。正応元年(1291年)5月に善統親王は出家し、以後は四辻入道親王と称される。文保元年(1317年)3月、85歳で薨去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「四辻宮」の詳細全文を読む




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