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四釜隆秀 : ミニ英和和英辞書
四釜隆秀[しかま たかひで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よん]
  1. (num) four 
: [かま]
 【名詞】 1. iron pot 2. kettle 

四釜隆秀 : ウィキペディア日本語版
四釜隆秀[しかま たかひで]
四釜 隆秀(しかま たかひで、生没年未詳)は、戦国時代安土桃山時代武将大崎氏の家臣。加美郡四釜城主。官位は尾張守。
陸奥大崎5郡を支配した大名である大崎氏の一族。剛勇にして知力ある武人と伝わり、大崎義隆も四釜隆宗を信頼していた。智勇兼備の士で、衰退する大崎氏をよく盛り立てたという。
天正16年(1588年)の大崎合戦では主君・義隆の命で中新田城を侵攻してきた伊達政宗軍と抗戦、これを撃退した。
天正18年(1590年)の小田原征伐で大崎氏が滅亡すると、天正19年(1591年)の大崎・葛西一揆で旧臣らと一揆を起こしたが、その鎮圧のために伊達政宗が進軍してくると政宗に投降して家臣となる。以後、伊達軍の先鋒として一揆の鎮圧を務めた。その後は石川頼重とともに宮崎城攻撃の手引きをした。
石巻大崎氏家臣四釜隆秀系の「四釜(しかま)」氏は他家へ奉公し、現在も山形~宮城に分布する。
四釜氏の居館である四釜城の城址は現在の宮城県加美郡色麻町四釜北谷地に存在する。五畿内七道制でいうと東山道の陸奥となる。

== 関連項目 ==

*四釜氏


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「四釜隆秀」の詳細全文を読む




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