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団 時朗(だん じろう、1949年1月30日 - )は、日本の俳優。本名は村田 秀雄(むらた ひでお)。旧芸名・団 次郎、団 次朗、団 治郎。アルファエージェンシー所属。 京都府京都市出身。身長187cm、体重88kg、血液型はAB型。平安高等学校卒業。 == 来歴・人物 == *長唄の師匠である日本人の母とイギリス系アメリカ人の父〔父親はアメリカ空軍の軍人であり、彼が2歳の時に朝鮮戦争で戦死している。〕との間に生まれたハーフ。1966年、母が知り合いである大映の三隅研次監督に頼み勝新太郎主演の『酔いどれ博士』に端役で出演する。同じ年に髙島屋と提携したピエール・カルダンのスーツを一度に3着購入するほどファッションに対しての想いが強いこともあって、1967年3月に平安高等学校〔在学中は野球部に所属。〕を卒業するとただちに上京し、セントラルファッションへ所属。同年5月に前田美波里と共演した資生堂サンオイルのテレビCM、続いて同社の男性化粧品「MG5」〔1971年まで出演。〕のテレビCMでファッションモデルとして注目される。以降はファッション雑誌、男性誌のファッションページ、ファッションショーにて活躍し、イタリア・ローマの大御所デザイナーアンジェロ・リトリコの日本に於けるイメージ・キャラクターにも選ばれた。1968年には、事務所の先輩である井出正勝が設立したアダムス・ファッション(現・アダムス)へ移籍する。 *本名から団次郎への改名の経緯は、デビュー時から歌手の村田英雄と混同されることが多く〔MG5のCMが話題になりデパート屋上でキャンペーンサイン会が催されることになるも、女性はてっきり歌手の村田英雄だと思って館内アナウンスをしてしまった〕、レコードデビューに際し付けた芸名をそのまま使用した。 *1970年に本格的に俳優としての活動を始め、1971年の『帰ってきたウルトラマン』で主人公・郷秀樹を演じて人気となる。 *90年代に雑誌の特集内で行われた京本政樹との対談で、自分が演じた「帰ってきたウルトラマン」には決まった名称がない〔この対談の時期には「ウルトラマンジャック」は正式名称となっている。〕ことに触れ、「ウルトラマンジャック」と言う名称になったことを京本が言及すると、「後からつけられてもピンとこない」と語っている〔京本政樹 『京本政樹のHERO考証学』 バンダイ、1992年、132頁。〕。 *また、『ウルトラセブン』の森次晃嗣のシャンソンCD発売の際、ウルトラ4兄弟=ダンディー4集合時に「子供の頃のヒーローと言えば?」という問いに、黒部進(=初代ウルトラマン)だと答えた。 *「歴代ウルトラマン1・2を争う酒豪」〔2010年7月19日放送のエンタマンより〕である。 *ダウンタウンの番組で「ウルトラマンと仮面ライダー」という企画に登場。宮内洋、速水亮、黒部進とともに出演。ウルトラマンジャックのライバルを尋ねられ『仮面ライダー』と即座に挙げた。 *2009年に、舞台で多数の競演を行っている黒柳徹子とのデートが報じられる。黒柳によると「ベッドルーム・ファンタジー」の舞台稽古の際の食事会であり、団のほかに田山涼成も同席していたことを明かし「でも、嬉しいって思いました」と大人の対応をしている。〔http://beauty.oricon.co.jp/news/69691/full/〕 *2013年に、「蒼き天狗の夜に。」という自主映画上映のアフタートークに特別ゲストとして登壇。若手俳優・スタッフへの激励、故郷京都での映画の原体験などを語った〔京都に「帰ってきたウルトラマン」団時朗さん-若手俳優らにエール 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「団時朗」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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