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飴(あめ)は、デンプンを糖化して作った甘い菓子、および、砂糖やその他糖類を加熱して熔融した後、冷却して固形状にしたキャンディなどを指す〔''飴''、和・洋・中・エスニック 世界の料理がわかる辞典、コトバンク、2012年9月7日閲覧。〕。固形の飴を固飴(かたあめ)、粘液状の飴を水飴(みずあめ)と呼び、大別する〔〔、2012年9月7日閲覧。〕。 近畿地方を中心に、「飴ちゃん」、「飴さん」と親しみを込めた接尾語を伴って呼ばれる事がある。東北地方などでは「飴っこ」ともいう。現在日本国内における固形の『飴玉』の製造法は液状の水飴に砂糖など顆粒糖類を加糖して加熱熔解後、成形しながら冷却して固める方式が一般的である。 == 日本における起源 == 文献上は、神武天皇が大和の国を平定した際に、「大和高尾」の地で「水無飴」を作ったという記載が、『日本書紀』の「神武紀」にある〔''飴''、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年9月7日閲覧。〕。 * ''われ今まさに八十平瓮をもちて、水無しにして飴を造らむ'' この「飴」は「たがね」と読む〔。『日本書紀』は神話であり、「神武天皇の時代」とされる紀元前7世紀については不明であるが、同書が編纂された720年(養老4年)には、既に飴が存在していたことになる。 正倉院に収蔵されている古文書に阿米(あめ)という記載があり、飴を意味していると考えられており、8世紀前半には日本で飴が作られていた事が分かる。この当時の飴はいわゆる水飴であったというのが研究者の一致した見解となっており、「阿米」という記載から伺えるように米を原料としていたと考えられている。米を原料としている点は現在の麦芽水飴と同様であるが、製法はまったく違っていたようである。米を発芽させる事で米に含まれる糖化酵素を活性化させ、デンプン質を糖化させることで飴を作っていたと推察されている。(麦芽を参照) 中国語においても、砂糖で作る堅い飴や、洋風のキャンディーなどは「糖(タン )」と呼び、「飴(イー )」は、米、コウリャン、麦芽などから作る水飴や軟らかい飴を指すという区別がある。 現在の飴はもっぱら菓子として食べられているが、当時は甘味料として用いられていたようである。また、甘い食品が貴重であった事から薬や珍味の様なあつかいもされていたようである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「飴」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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