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国分 二郎(こくぶ じろう、1944年 - 1983年)は、日本の俳優である〔キネ旬, p.207.〕〔''Jirô Kokubu'', インターネット・ムービー・データベース 、2015年2月20日閲覧。〕〔''国分二郎''・''森達也''・''森竜也''、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年2月20日閲覧。〕〔日本映画情報システム 検索結果、文化庁、2015年2月20日閲覧。〕〔''国分二郎''、KINENOTE, 2015年2月20日閲覧。〕〔''国分二郎''、allcinema, 2015年2月20日閲覧。〕〔''国分二郎''・''森竜也''、日本映画データベース、2015年2月20日閲覧。〕〔''国分二郎''、日活、2015年2月20日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2015年2月20日閲覧。〕。本名は森 達也(もり たつや)〔。初期には本名あるいは森 竜也(もり たつや)の表記でもクレジットされた〔。 == 人物・来歴 == === 新劇から成人映画へ === 第二次世界大戦の末期である1944年(昭和19年)、静岡県三島市に生まれる〔。本名は「森達也」であるが、映画作家の森達也(1956年 - )とは生年も出生地も異なり、別人である〔森達也 、特定非営利活動法人シブヤ大学、2015年2月20日閲覧。〕。 1960年(昭和35年)前後、千葉県習志野市の東邦大学付属東邦高等学校に進学するも、やがて同校を中途退学し、東京都渋谷区千駄ヶ谷の日本デザインスクール(現在の日本デザイン専門学校〔ごあいさつ 、日本デザイン専門学校、2015年2月20日閲覧。〕)に籍を置き、インテリアデザインを学ぶ〔。俳優を志して「グループ虹の会」に入会し、演劇の芝居稽古に参加した〔。満21歳を迎える1965年(昭和40年)、この芝居稽古中に出逢った俳優の紹介で独立系成人映画の世界に入り、同年に公開された『性と血』という映画に出演してデビューした〔。同年と翌1966年(昭和41年)の出演作は記録に残っていないが、1967年(昭和42年)7月に公開された『女高生の絶叫』(監督東元薫、梅沢薫の別名)、同年10月13日に公開された『暴欲の色布団』(監督渡辺護)に出演した記録が残っている〔〔。この時期から1970年代、1980年代初頭にかけて、渡辺護・梅沢薫の両監督の作品に多く出演した〔〔〔〔〔〔〔〔〔。 小田克也によれば、「二枚目の風貌だが、硬軟両様をこなし、孤独でややニヒルな現代青年役がユニークな演技派」である、という〔。1969年(昭和44年)12月に公開された『男ごろし 極悪弁天』(監督渡辺護)では、香取環演じるところの「弁天の加代」の相手役の用心棒「英二郎」を演じ、同作はヒットをみる〔年鑑, p.139, 154.〕〔『男ごろし 極悪弁天』から『おんな地獄唄 尺八弁天』へ 、井川耕一郎、渡辺護公式サイト、2015年2月20日閲覧。〕。配給元の関東映配の希望でその続篇『おんな地獄唄 尺八弁天』が製作され、1970年(昭和45年)6月に公開されている〔〔。国分は同作では「弁天の加代」の相手役の「セイガク」を演じたが、渡辺護の回想によれば、国分は、自らが出演したこの正続両作では、前作の『男ごろし 極悪弁天』の方が面白かったと語ったという〔。『おんな地獄唄 尺八弁天』は、上映用プリントが現存しているが〔平成16年度独立行政法人国立美術館事業実績統計表 、独立行政法人国立美術館、2015年2月20日閲覧。〕、『男ごろし 極悪弁天』の現存は確認されていない〔。 1971年(昭和46年)11月、老舗であり大手五社の一社であった日活が成人映画路線に全面的に舵を切り、「日活ロマンポルノ」(1971年 - 1988年)を開始するが、国分は、代々木忠が所属したプリマ企画が製作した1972年(昭和47年)6月7日公開の『性神風土記2 秘められた愛』(監督秋山駿)を皮切りに、同社の作品や、1974年(昭和49年)7月20日公開の『(秘)香港人肉市場』(監督沢賢介)、同年9月11日公開の『濡れた賽ノ目』(監督若松孝二)といった独立プロダクションの下請け作品に出演する、という形で日活配給作品にも出演した〔〔〔〔〔〔〔。 1972年5月に公開された『現代日本暴行暗黒史』(監督若松孝二)で主演し〔若松孝二 フィルモグラフィー 、若松プロダクション、2015年2月20日閲覧。〕、「血がたぎる攻撃的な役」を演じた〔。同年12月に公開された、『嘆きのテレーズ』(監督マルセル・カルネ、1953年)を下敷きにした『ただれた性交』(監督渡辺護)では、テレーズ(シモーヌ・シニョレ)に当たる主演の真湖道代を相手に、ラフ・ヴァローネ演じるところのローランに当たる役を演じた〔〔キネ旬, p.74, 110.〕。1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集・男優編』の国分の項目によれば、当時は少なくとも独身であった〔。久保新二によれば、『おんな地獄唄 尺八弁天』で脇役であった青山リマと交際説、結婚説も流れたというが〔里見浩二、十朱三郎、青山リマ 、久保新二、2012年9月30日付、2015年2月20日閲覧。〕、青山は1974年に25歳で引退している〔キネ旬, p.10.〕。野上正義によれば、国分は武藤周作とともに渡辺組(渡辺護監督作の常連役者)であり、野上や堺勝朗、松浦康、久保新二、吉田純らは、もっぱら山本組(山本晋也監督作の常連役者)であったという〔野上, p.172, 230.〕。 1983年(昭和58年)1月に公開された『日本痴漢大作戦』(監督飯泉大)、同年2月に公開された『犯しの淫画』(監督飯泉大)、同年5月に公開された『未亡人を犯す』(監督北見一郎)に出演した記録が残るが、その後、映画界を去る〔〔〔〔〔〔〔〔。時期は不明であるが、同年ころに死去する〔。満38-40歳ころの没。久保新二によれば、シネキャビンの納涼会で会ったのが最後であったという〔久保, p..〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国分二郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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