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国司 仙吉(くにし せんきち、1846年(弘化9年)〔『松下村塾の明治維新』222頁。〕 - 1915年(大正4年)12月25日〔『松下村塾の明治維新』229-230頁。〕)は、幕末の長州藩士、明治期の官僚。秋田県権令。他の通称・千吉郎、号・水門〔『増補 近世防長人名辞典』105頁。〕。 ==経歴== 長門国萩城下で長州藩士・国司右内、まし夫妻の息子として生まれた〔。安政4年(1857年)春、松下村塾に入り、安政5年(1858年)吉田松陰の野山再獄まで指導を受ける〔『松下村塾の明治維新』222-223頁。〕。文久3年(1863年)若殿様御前詰、元治2年(1865年)御小姓役となる。また、干城隊に入り、その後、御楯隊に転じ、改組された整武隊に慶応3年(1867年)まで在籍した〔『松下村塾の明治維新』223-224頁。〕。慶応4年(1868年)12月、御蔵元順番検使役に就任し、さらに会計局検使、大坂検使役、会計局権大属などを歴任〔『松下村塾の明治維新』224頁。〕。 明治政府に出仕し、明治4年(1871年)8月、宮谷県大参事に任官。以後、木更津県参事、兼印旛県参事を務めた。1873年5月、秋田県権令に発令された〔。地元出身者の官吏登用、養蚕振興、学制を施行し寺子屋を全廃するなどの施策を推進した〔『新編日本の歴代知事』163頁。〕。明治7年度(1874年度)の徴兵の際に、県の担当者が年齢計算を誤って召集を行い、その事後処理が不適切であったことなどから、1875年5月15日、依願免本官と同時に位記返上が申し渡された〔『松下村塾の明治維新』228-229頁。〕。 1877年1月、工部少書記官、秋田県阿仁鉱山分局勤務となる。以後、内務権大書記官、工部権大書記官・用度課長を歴任し、1885年12月、工部省が廃止され非職となった。その後、千葉県木更津に移り事業を行った〔『松下村塾の明治維新』229頁。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国司仙吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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