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国境会戦(こっきょうかいせん)は、朝鮮戦争の勃発直後、1950年6月25日に北緯38度線付近を戦場として、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で行われた戦闘である。 == 戦争の準備 == 1950年初頭より、北朝鮮においては軍の拡充が急がれはじめた。作戦計画の策定は1950年5月末に完了し、1950年6月10日には師団長会議が開催され、部隊の展開と移動が下令されるとともに、軍団の編成が開始された。この際、企図秘匿のため、師団級部隊の機動演習を名目とした。翌11日、「大機動演習」の実施が発令された。演習期間について、姜総参謀長は「多少長期間になるかもしれないが、二週間もあれば事足りる」〔韓国国防軍史研究所編(2000)〕と説明するとともに、演習に関しては口外無用であり、家族に対しても秘するよう命じた。これは、実際に二週間の移動訓練であるなら、非常におかしな命令であった。各部隊は6月12日から逐次駐屯地を出発し、23日までには攻撃位置への進入を完了した。上述のように、この部隊移動は演習であるとされていたが、多くの兵は23~24日の夜、真実を知ったと言われている。 一方、韓国国防部は、「1950年春には、人民軍が38度線から全面的に攻撃を行う」との1949年末の総合情報報告に基づき、対応計画の策定を急ぎ、1950年3月25日付で国軍防御計画(陸本作戦命令第38号および付録諸計画)を確定し、隷下部隊に下達した。韓国軍は「北韓当局の侵略計画が完成されていると思われ、彼らの行動はただ時間の問題である」〔と認識しており、その勢力に関してもほぼ正確に把握していた。その一方、アメリカ軍、国際連合は事態を楽観しており、6月12日、アメリカ軍事顧問団は国連朝鮮委員会の質問に対して「攻撃を受ける現実的な兆候はない。万一侵略が起こっても、韓国軍はこれを撃退することができる」と回答した〔陸戦史研究普及会(1970)〕。韓国軍においても一部では危機感が欠如しており、6月9日、蔡秉徳参謀総長は師団長、連隊長級の大規模な人事異動を行なった。これによって国境師団長に補された将軍たちは、当代一流の人物ではあった〔が、目前と考えられた戦闘に向けての準備期間は明らかに不足であった。また、防御施設については、同年3月に確定された防御計画に基いて構築が進められていたが、38度線における北朝鮮の武力挑発や共産ゲリラの跳梁により、その工事は妨害された。地域住民や青年団による労働奉仕によって相当の進捗を見たとは言っても、障害物の設置はほとんど行なわれず、また特に対戦車防御は極めておざなりであった。陸軍本部作戦局長(姜文奉大佐)は防御施設の強化を提案する建議書を国会に提出したが、5月30日の総選挙を受けてこのとき国会は休会中であり、その処理はなされなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国境会戦 (朝鮮戦争)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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