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国奥麒樹真 : ミニ英和和英辞書
国奥麒樹真[くに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [おく]
 【名詞】 1. interior 2. inner part 
: [まこと, しん, ま]
  1. (adj-na,n) (1) truth 2. reality 3. genuineness

国奥麒樹真 ( リダイレクト:國奥麒樹真 ) : ウィキペディア日本語版
國奥麒樹真[くにおく きうま]

國奥 麒樹真(くにおく きうま、1976年11月12日 - )は、日本男性総合格闘家。本名は國奥 道明(くにおく みちあき)。大阪府大阪市出身。フリーランス。元ウェルター級キング・オブ・パンクラシスト。元ミドル級キング・オブ・パンクラシスト。
== 来歴 ==
1992年、中学卒業と同時に、藤原喜明率いるプロフェッショナルレスリング藤原組に入団し練習生となったが、同年12月に多くの所属選手が離脱したのに帯同〔格闘技通信 1993年2月23日号 4-7頁〕。翌1993年パンクラス旗揚げに伴い、國奥もパンクラスに練習生として所属する。当時は名前を國奥将竜としていた。
1996年1月28日、リングネームを國奥麒樹真と改め、渋谷修身戦でプロデビュー。既にトップとして活躍していたフランク・シャムロックガイ・メッツァーを下して國奥は程なくしてパンクラスの主力選手となった。近藤有己、渋谷修身と並び「ハイブリッド三銃士」と呼ばれていた。
2001年12月1日、ミドル級(-82kg)キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチで王者ネイサン・マーコートに挑戦し、2-0の判定勝ちを収め王座獲得に成功した〔[パンクラス]近藤強し! 郷野を病院送り BoutReview 2001年12月5日〕。
2002年5月28日、初代ウェルター級(-75kg)王者決定トーナメント1回戦で岩崎英明に3-0の判定勝ち〔[パンクラス] 5.28 後楽園:美濃輪、本当に大丈夫なのか? BoutReview 2002年5月28日〕。7月28日、準決勝で大石幸史に3-0の判定勝ちを収め、決勝では伊藤崇文腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収めウェルター級王座を獲得、ミドル級王座との同時制覇に成功した〔[パンクラス] 7.28 後楽園 (ウェルタートーナメント):國奥が二冠達成 BoutReview 2002年7月30日〕。
2002年9月29日、ウェルター級王座防衛戦で長岡弘樹と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めウェルター級王座の初防衛に成功した〔[パンクラス] 9.29 横浜:GRABAKA佐々木、スティーブリングと打撃戦 BoutReview 2002年9月29日〕。
2002年12月21日、ミドル級王座防衛戦でネイサン・マーコートと再戦し、右膝蹴りでKO負けを喫し王座陥落した〔[パンクラス] 12.21 有明:郷野が爆弾発言。國奥×マーコート決着 BoutReview 2002年12月21日〕。
2003年5月、アブダビコンバット77kg未満級に出場。1回戦でマルセロ・ガッシアにバックからのチョークスリーパーで一本負け。
2003年7月1日、パンクラスMISSIONに移籍した前道場長鈴木みのるに代わり、パンクラスismの道場長に就任した〔[パンクラス] 國奥、パンクラスismの新道場長に就任 BoutReview 2003年7月3日〕。
2003年11月30日、ウェルター級王座防衛戦で芹澤健市と対戦し、3-0の判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した〔[パンクラス] 11.30 両国:近藤、菊田を左フックでノックアウト BoutReview 2003年11月30日〕。
2004年8月30日付けでパンクラスを退団した。当時パンクラスismの道場長も務めていたが、これらの地位を全て投げ打って、フリーとなった。退団理由について、「パンクラスにいると守られてしまい、自分の価値がわからない。一から実力を試したい」と述べた〔[パンクラス] 國奥が退団しフリーに。ウェルター級王座も返上へ BoutReview 2004年8月30日〕。同時に保持していたウェルター級王座の返上も申し出ていたが、9月21日付けで正式に受理された〔[パンクラス] 國奥のウェルター級王座返上を正式受理。空位に BoutReview 2004年9月22日〕。
2005年7月6日、初参戦となったHERO'Sホドリゴ・グレイシーと対戦し、判定負け。その後もHERO'S参戦するも1勝3敗と結果は振るわなかった。
2006年12月20日、DEEP初参戦となったDEEP 27 IMPACTでファブリシオ・"ピットブル"・モンテイロと対戦したが、チョークスリーパーで一本負け。
2007年7月8日、DEEP 30 IMPACTにおいて中尾受太郎と対戦し、判定ドロー。
2007年10月9日、DEEP 32 IMPACTにおいて池本誠知と対戦し、判定ドロー。
2008年9月28日、戦極初参戦となった戦極 〜第五陣〜でクォン・アソルと対戦し、判定勝ち。約2年ぶりの勝利を収めた。だが、試合後、戦極の國保尊弘広報に「負けを恐れず、前に出てもらいたい」と酷評された〔國保広報が「戦極〜第五陣〜」を総括 スポーツナビ 2008年9月29日〕。
2010年3月7日、SRC12レオ・サントスと対戦し、チョークスリーパーで一本負け。
2010年10月30日、SRC15真騎士と対戦し、パウンドによるTKO負けを喫した〔【SRC戦極】泉浩が石井慧との対戦をアピール!ウェルター級GP決勝は中村VS榎本(2) 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月30日〕。当初真騎士と対戦予定であったレオ・サントスが頸椎損傷および首のヘルニアにより欠場となったため、代理出場となった〔【SRC戦極】10・30レオ・サントスが首の負傷により欠場、國奥が真騎士と対戦 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年10月25日〕。
2014年12月31日、3年10か月ぶりの復帰戦となったINOKI BOM-BA-YE 2014でラマザン・エセンバエフと対戦し、判定負け〔【IGF】元パンクラス王者・國奥、山本勇気が参戦 eFight 2014年11月19日〕〔青木真也、山本勇気を81秒殺。石井慧、ミルコに連敗:12.31 両国 boutreview2015年1月1日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「國奥麒樹真」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kiuma Kunioku 」があります。




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