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国安 修二(くにやす しゅうじ、本名:国安 修次、1958年8月6日 - )は、千葉県香取郡多古町出身の日本の男性シンガーソングライター、作曲家、実業家。 ==概歴== 1978年に地元で結成したフォークデュオ「TAKE ONE」として千葉音楽祭で入賞し、東京都内の大学在学中の1981年にメンバーを追加してグループとした「RAIN」でテイチクからレコードデビュー。高校卒業後デビューするまでの約2年間は新聞奨学生として銀座の新聞販売店で働いていた。 グループ解散後の1983年に須藤晃プロデュースでCBSソニーからソロデビュー。 初期はバラード調の曲に、主人公が経験した淡い恋を大学生活と絡めながら振り返り葛藤する歌詞を乗せた作品が多く、学園ソングの様相を伺わせていた。なお、これらの殆どの歌詞は本人の経験を基に田口俊が作詞している。1986年1月には芸能プロモーターの鈴置雄三(→ハイヤングKYOTO)によって、コンサート会場の穴埋めのために急遽結成したソロ歌手3人組ユニットのパフォーマンスから「GAN-BA-RUNDA CLUB」名義でのレコードリリースも行った。ソロの代表曲は1985年に発表した「ねぇ」。 この曲は、三貴の婦人服専門店「ブティックjoy」のCMソングとして起用された。 「ねぇ」は1990年後半に大阪の酒場で口コミによって評判となり、その界隈から大阪有線放送へのリクエストが積もり上がり首位を獲得。飛び火する形で1991年から全国各地の有線放送でもヘビーローテーションされ、同年8月にシングルで原盤を再発売するとスマッシュヒットを記録。1992年12月にはドラマ主題歌としてタイアップしたセルフカバー版を発売し、ロングセールスを記録。当時のラジオ歌番組のCMで「懐かしい曲が、今、蘇る」というキャッチフレーズでオンエアされたこともあるほど。 演歌ではないJ-POPが口コミと有線放送から浸透してヒットが形成される事は、当時の音楽業界においては珍しい事例であった。 この頃に第一興商のレーザーディスクカラオケ用に本人出演によるカラオケ映像が撮影され、2004年以降、BBサイバーDAMやLIVE DAMで同曲(通常)を選曲すると、レーザーディスク版の映像が本人出演映像としてストリーミング配信により再生される。 1994年のシングル発売を以てアーティスト活動から退き、ソニーミュージックグループの音楽出版関係会社でディレクター社員として勤務。2006年4月実施のソニーミュージックグループの事業再編を機に前年に脱サラし、2006年10月に「フォーク居酒屋 HIT STUDIO 70's 旅のつづき…」を開店。 2010年に石原詢子とのデュエットでセルフカバーした「何も始まらないなら」をリリースした。 また、ジェロや黒木憲ジュニアなどにも曲を提供している。 ライブ活動なども活発。 2011年には、初の著書であるギター教則&エッセイ「国安修二のもう一度ギターを手に取れ!」を発売した。 1980年代を中心に同じくシンガーソングライター・作曲家として活動した国安わたるは2歳下の弟で、現在は「旅のつづき…」のマスターを務めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国安修二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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