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国家人民軍(こっかじんみんぐん、ドイツ語:,ナツィォナーレ フォルクスアルメー)は、ワルシャワ条約機構軍の一翼を担っていたドイツ民主共和国の軍隊である。通称は東ドイツ軍、東独軍。略称は(エヌ・ファオ・アー)。東西ドイツ合併後はドイツ連邦軍に統合された。 == 概要 == 1956年1月18日、人民議会では冷戦の激化を受けて「国家人民軍及び国防省の創設に関する法律」(über die Schaffung der Nationalen Volksarmee und des Ministeriums für Nationale Verteidigung)が採択された。これに基づいて3月1日までに兵営人民警察は国家人民軍に改組され、同時に(Ministerium für Nationale Verteidigung)が設置された。1962年からは徴兵制が導入された。西ドイツのような良心的兵役拒否は認められなかったが、実質上これに相当するという制度はあった(西側諸国の兵役代替役務に近い)。建設部隊勤務は反体制の意思表示として兵役期間中はもちろん除隊後も周囲からの差別・偏見の対象となった。建設部隊勤務制度は主に宗教上の理由から兵役を拒否した人々と当局との妥協の結果として成立した制度である〔市川ひろみ「武器を持たない兵士たち」『三省堂ぶっくれっと』No,120、September,1996所載 を参照。徴兵制度の項目もあわせて参照のこと。〕。 他の社会主義国の軍隊同様、国軍であると同時に支配政党であるドイツ社会主義統一党 (SED) の強い指導下に置かれた党の軍隊でもある。東西冷戦の最前線であることからドイツ駐留ソ連軍の方が国家人民軍より規模が大きく、また運用においてもソ連軍の指揮下に置かれていた。 国家人民軍は公式には16世紀のドイツ農民戦争の農民達の軍隊の後継者であると称していた〔伸井太一『ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品』社会評論社、2009年 P149〕が、後述するようにドイツ将校同盟などで「反ファシズム教育」を受けたとされるドイツ国防軍の将校たちが創設に関与し、入隊の際の忠誠宣誓では西ドイツの連邦軍では削除された上官への絶対服従義務が明記されているなど、第二次世界大戦以前のドイツ軍の伝統が継続されていた〔1966年にはプロイセンのゲアハルト・フォン・シャルンホルストの名を冠した勲章 () が制定されている。〕。軍服のデザインやガチョウ足行進などにドイツ国防軍の影響が色濃く残っている点も、戦後それらをアメリカ式に改めたドイツ連邦軍(西ドイツ軍)とは大きく異なる点である。このため国家人民軍は「赤いプロイセン軍」と呼ばれていた〔仲井斌『もうひとつのドイツ』朝日新聞社、1983年〕。 1990年のドイツ再統一以降、各軍はドイツ連邦軍の各軍に統合される。旧地上軍の人員・機材は旧地上軍司令部に設置された第4軍団によって管理され、また旧人民海軍の人員・機材は旧人民海軍司令部に設置されたロストック海軍司令部によって管理された。しかし、統一直前に締結されていたドイツ最終規定条約で軍縮が確定していた為、統合の際に多くの将兵が職を失った。残留を許された一握りの下士官兵も、直後に結ばれたヨーロッパ通常戦力条約に基づく軍縮の中で段階的に解雇されていった。 さらに統一後のドイツ連邦共和国では国家人民軍への従軍を「外国軍への従軍」と見なし、軍人恩給の支給を認めなかった。元将校らが受け取った年金は大学生が受け取る奨学金の額にも満たなかったという。彼らは退役軍人を名乗る事も認められず、少額の年金のみを保証され、長らく苦しい生活を送った〔Andrew Bickford, "Soldiers, Citizens, and the State: East German Army Officers in Post-Unification Germany." ''Comparative Studies in Society and History'' 2009; 51(2):260-287. http://dx.doi.org/10.1017/S0010417509000127〕。統一からおよそ15年後の2005年3月1日、ドイツ社会民主党や緑の党など左派諸党の提出した法改正によって国家人民軍への従軍を「連邦軍海外勤務」として扱うことが認められ、ようやく軍人恩給の支給が行われた。ただし、退役軍人を名乗ることはドイツキリスト教民主同盟や自由民主党など右派諸党の反対で認められなかった〔Beschlussempfehlung und Bericht des Verteidigungsausschusses 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国家人民軍」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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