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国家公務員共済組合連合会 立川病院(こっかこうむいんきょうさいくみあいれんごうかい たちかわびょういん)は、東京都立川市にある医療機関。国家公務員共済組合連合会の直営病院である。地域医療支援病院、エイズ治療拠点病院である。病院の理念は「質の高い、思いやりのある医療を実践する。」慶應義塾大学病院の関連病院である。 == 沿革 == 1944年2月11日(紀元節)に東京第二陸軍共済病院として開院した〔公式サイトによると1943年11月。〕。院長ほか幹部は陸軍出身だが、医師については慶應義塾大学医学部に派遣要請をした。慶應義塾大学からの派遣は戦後も続き、現在に至るまで慶應義塾大学との関連が深い。陸軍病院ではあったが、一般の地域住民でもかかれる病院であった。1945年4月4日の空襲により、薬品倉庫等が焼失し、複数の看護師が死亡するなど相当の被害を受けた。 1945年9月1日に陸軍の手を離れ、傷痍軍人遺家族救恤立川病院と名称が変更される。一方で、大蔵省の大平正芳(給与局第三課長)らは現業職員にあって非現業職員にない福利厚生事業である直営病院事業を発足させるため検討を行った。その結果、立川病院ほか4病院は1947年4月1日に大蔵省が買収し、同年に設立された財団法人政府職員共済組合連合会の病院(財団法人政府職員共済組合連合会立川病院)に移管した。病院は一般病床、結核病床、伝染病床で構成され、診療科目は内科、外科、小児科、産婦人科、耳鼻咽喉科、皮膚科、泌尿器科、眼科、理学療法科の9科であった。病院は4月1日を創立記念日とした。 初代院長は陸軍共済病院時代の院長名になっているが、実際には院長はそれ以前に辞職しており、不在の状態であった〔佐藤孝次「立川病院五十年史発刊に際して」後掲『五十年史 立川病院』〕。1947年10月15日に慶應義塾大学教授であった石田二郎が着任し、正式にトップが決まった。 のち財団法人は1949年6月1日に認可法人非現業共済組合連合会に承継され、1958年5月1日に現名称となる(法改正によりその後、等の字が入ることがあった)。1964年7月15日には全面改築された新診療棟・新病床に移る。また、立川市ほか4市の一部事務組合(立川地区共立病院組合)の委託を受けて伝染病床(法定伝染病患者収容施設)を運営していた。 医療従事者の人材育成として、看護師養成のため、1952年4月に立川高等看護専門学院を設置し、2000年3月の閉校まで運営した。また1971年4月1日臨床研修病院に指定されるなど、早くから医師の人材育成にも取り組んでいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「立川病院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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