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國府 尽平(こうの じんぺい、1885年(明治18年) - 1956年(昭和31年)4月30日)は、日本の海軍軍人、医師。海軍中佐で予備役となった〔海兵35期は軍縮条約の影響を受け、172名の同期生のうち中佐以上に進級したのは95名である(『帝国海軍士官入門』pp.373-374)。〕のち、医学博士号を取得した〔「会津会会報」第72号〕。 == 人物・来歴 == ===略歴=== 海軍兵学校35期。福島県北会津郡湊村出身。國府は二度改名しており、旧名は横倉房吉と穴澤房吉である。会津中学から府立一中に転校し、海兵の席次は172中名123番であった〔『海軍兵学校沿革』〕。同期生に近藤信竹、高須四郎、野村直邦などがいる。海兵35期の遠洋航海は「松島」が火災沈没事故を起こし、乗組んでいた國府は救助されたが、同期生30名以上が犠牲となっている。海軍将校として装甲巡洋艦・常磐、戦艦・富士、特務艦・朝日、呉海兵団、横須賀防備隊などで勤務した。 予備役編入時は既に3人の子がいたが、國府は医師として再出発を決意。東京医専を卒業し、医師免許を取得。東京で開業し、のち郷里・福島県の川俣保健所などに勤務した〔「会津会会報」第72号〕。稚松会会員〔「稚松会名簿」〕。長男の真平は海軍兵学校73期〔『海軍兵学校沿革』巻末53頁〕に入校している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国府尽平」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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