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国書総目録(こくしょそうもくろく)とは、古代から慶応3年(1867年)までの間に日本人により著述・編纂・翻訳された書籍の所蔵先をまとめた岩波書店発行の目録である。全8巻、索引1巻。 == 編纂の概要 == 1939年、岩波書店創業者の岩波茂雄の発案により〔元々は本書の編纂事務主任を務めた梅徳の提案であったという(熊田淳美『三大編纂物 群書類従 古事類苑 国書総目録の出版文化史』(勉誠出版、2009年)206頁)。〕、1897年から1900年に佐村八郎により刊行された『国書解題』を質・量ともに凌駕する国書の解題目録として企画され、辻善之助を編纂主任として編纂が開始された。翌年には新村出が副主任として参加し、その他森末義彰・市古貞次・亀井孝らも加わった。同年7月、学界の有力者を帝国ホテルに招き、解題目録の刊行計画を公表して各界への協力を呼びかけた。このように大々的に公表したのは、同年2月に津田左右吉の岩波書店発行の著書が発禁処分にされ、津田と岩波が出版法違反で起訴(後に執行猶予付きの有罪判決、その後控訴審で時効により免訴)されたことに対する抗議・弁明の意味もあったものとされる〔熊田淳美『三大編纂物 群書類従 古事類苑 国書総目録の出版文化史』(勉誠出版、2009年)209頁〕。 その後各地から書籍情報のカードを100万枚近く収集するとともに解題を各界の学者に依頼。地方・民俗学は柳田國男、神道は宮地直一・佐伯有義、仏教は藤堂祐範・山鹿三七、医学は藤浪剛一、経済は土屋喬雄が担当した。1943年には第1巻を印刷し始めたが、1945年4月に太平洋戦争による空襲で組版作業中の印刷所が被害を受けたため中断し、書籍情報のカードを疎開させるなどした。 1955年、戦後10年を過ぎて社会が安定したこともあり、編纂を再開。同年に主任の辻が死去し、新村も編纂から外れたため、森末・市古が中心となった。1957年、堤精二が新たに編纂に参加する。1958年、戦前より事務主任を務め、企画の中心者であった梅徳(梅謙次郎の子)が交通事故死したことを契機に目的が変更され、「解題」ではなく「国書の総合所在目録」を刊行することとなり、『国書総目録』としての編纂が開始された。その後、1960年までに更に約70万枚の書籍情報のカードを収集した後、戦前のものと合わせた約170万枚の中から約50万〔この50万という数字はかなり水増しした数であり、熊田淳美は実数45万以下と見積もっている(熊田淳美『三大編纂物 群書類従 古事類苑 国書総目録の出版文化史』(勉誠出版、2009年)243頁)。〕の書籍を厳選して目録に収録することとした(初めは1960年までの収集資料に限っていたが、各図書館・大学等の蔵書の増加・整理の進捗に伴い、適宜追記したり、補遺として最終巻に収録したりした)。 1963年に第1巻が刊行され、1972年に本文8巻が完成した後、1976年に索引が刊行されて全巻が完結した。またその後、1989年から1991年、2001年から2003年に更に追加・訂正を行った補訂版も刊行されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国書総目録」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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