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国民的歴史学運動(こくみんてきれきしがくうんどう)とは、民主主義科学者協会(民科)歴史部会が1950年代初頭から半ばにかけて、歴史学ひいては大衆運動の分野において展開した諸運動を指す〔国民的歴史学運動と歴史教育 村井淳志 1985年7月31日 教育科学研究第4号(PDF形式)〕。民科が1952年に「国民的科学の創造と普及」を掲げた〔ことに前後して、マルクス主義歴史学に依拠しつつ日本中世史を研究していた歴史学者の石母田正が提唱し、「歴史学の革命」や「歴史学を国民のものに」というスローガンに基づき行われていった〔小熊 2002年 p.307〕。 日本共産党所感派の武装闘争路線と歩調を一にしていた〔小熊 2002年 p.325〕ため、民族主義と政治主義とが絡まり合った運動を巡っては激しい議論を惹起した。六全協による方針転換により同党内で「50年問題」が収束し、国際派が主導権を握った1955年から1956年にかけて民科歴史部会が解体するに伴い、衰退していった〔。運動のイデオローグであった石母田も、1957年に入り自己批判書を提出するなど、国民的歴史学運動は歴史学の中で「過去の悪夢」として忘却の道を歩み〔小熊 2002年 p.351〕、替わって日本歴史学においては、文書史料中心の実証主義が台頭することとなる〔。 == 歴史 == === 民主主義科学者協会 === 民科は、戦前の科学ならびに科学者の姿勢に批判的な研究者が中心となり、1946年に180名の会員〔「戦後における知識人の思想と政治 -憲法問題研究会を中心に-」 邱静 早稲田大学大学院アジア太平洋研究科 国際関係専攻博士後期課程 博士論文(PDF形式)〕をもって設立された団体である〔。設立当初は、戦前の科学が有していた権力に対する無関心もしくは迎合的姿勢や、科学者組織・学界の階層性、民衆に開かれていない科学の閉鎖性などを指摘・批判した〔。 民科はこれに代わる今後の科学のあり方として、包括的に「民主主義科学」を対置し研究を進めてゆき〔、1950年頃には最盛期を迎え、114の地方支部、1772名の専門会員、8243名の普通会員を擁し、研究者のみならず一般市民や学生なども加入する、一大学会にまで上り詰めることとなる〔。米軍占領期にあって、民科が学界や言論界に与えた影響は大きかった〔が、創設時点ではいまだ民族性は皆無であった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国民的歴史学運動」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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