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国鉄103系電車(こくてつ103けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が設計・製造した直流通勤形電車。 国鉄通勤形電車として、当時の国鉄の財政・設備・保守などの各事情を考慮の上で経済性を最重視して設計され、1963年(昭和38年)3月から1984年(昭和59年)1月までの21年間に3,447両が製造された。 また、本項ではインドネシアの鉄道会社 (PT. Kereta Api) に譲渡された車両についても記述する。 == 概要 == 基本的な構成は、国鉄初の新性能通勤電車で前作に当たる101系を概ね踏襲している。切妻形車体・3枚窓による運転台のシンプルなデザイン・1300mmの両開き4扉・扉間7人掛け車端部3人掛けのロングシート・コイルばね台車はウイングばね軸箱支持・直巻整流子電動機を用いた抵抗制御・MM'ユニット方式である。 国鉄の汎用的通勤形電車として設計されたため、比較的駅間が短く速度の低い線区を主に使用することを前提として設計されたが、週末などの臨時電車運転を考慮して主電動機の界磁を35%まで弱めて高速特性を近郊形電車の111系並に設定〔『電車・気動車加速力曲線』1966年、国鉄運転局〕している。設計当時多くの路線で最高速度が95km/hであったこともあり、よほど特殊な線区以外では高速運転をする機会はなかったが、大量に製造されるうちに、駅間距離が長い路線やブレーキ初速度の高い路線などに投入された結果、高速性能を求められるケースも増え、加速性能では分流抵抗による弱め界磁率の誤差などを修正する小改造〔田川憲司ほか(JR西日本宮原電車区) 「103系電車の力行性能改善」『電気車の科学』1990年8月号、電気車研究会、pp.49 - 58。〕を、高速域からの電気ブレーキ性能では過電圧対策〔手槌康博ほか(国鉄明石電車区車両検査掛) 「103系電車ブレーキ時における過電圧防止対策」『電気車の科学』1973年6月号、電気車研究会、pp.41 - 44。〕などを施して改善した車両も存在した。なお、最初の投入先が山手線であったことから一部の雑誌執筆者からは駅間距離が短い山手線専用形式と言われたこと〔曽根悟(東京大学教授) 「101系電車の評価と日本の通勤電車」『鉄道ピクトリアル』1987年11月号、電気車研究会、pp.20 - 23他多数。〕もあったが、当時の関係者によって完全に否定されている。最高速度は100km/hとなっているが、MT比1:1では90km/hを超えると加速余力は少なく実用95km/h程度である〔佐藤芳彦(元国鉄車両設計事務所補佐)「全国に広まった通勤電車-103系」『通勤電車テクノロジー』山海堂、2005年、pp.67 - 75 注釈16。〕。 本系列の設計は帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)東西線乗入用のアルミ製車両である301系の基本〔岡田直昭(国鉄車両設計事務所) 「301系軽合金電車詳説 (1)」『電気車の科学』1966年9月号、電気車研究会、pp.19 - 22。〕となったほか、地方私鉄買収電化路線用の105系にも応用〔石津一正(国鉄車両設計事務所電気車) 「105系通勤形直流電車の概要」『電気車の科学』1981年3月号、電気車研究会、pp.35 - 40。〕された。 新造車3,447両のほか、20両が72系から、36両が101系からそれぞれ編入され、総数は3,503両であるが、全車が同時に存在したことはない。 JRグループ発足時に、事故廃車2両と105系改造車65両を除いた3,436両が、北海道旅客鉄道(JR北海道)と四国旅客鉄道(JR四国)を除く各旅客鉄道会社に引き継がれたが、老朽化による新型車両への置き換えによって廃車が進行し、東海旅客鉄道(JR東海)では2001年、東日本旅客鉄道(JR東日本)では2009年に形式消滅となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄103系電車」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 103 series 」があります。 スポンサード リンク
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