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国鉄キハ10系気動車(こくてつキハ10けいきどうしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1953年(昭和28年)に開発した一般形気動車のグループである〔交友社 日本国有鉄道工作局・車両設計事務所『100年の国鉄車両(3)』 p.434。当形式が製造された時代の時点での気動車は普通列車用しか製造されていないが、同書によれば「一般形液体式ディーゼル動車」に分類されている。〕。1957年(昭和32年)までに728両〔広義のキハ10系(後述)を含めると762両となる。〕が製造され、日本全国で使用された。 なお、このキハ10系という呼称は国鉄制式の系列呼称ではなく、同一設計思想に基づいて製造され、後に国鉄によって形式称号の改正が実施された際に10番台の形式名を付与された〔当時の電車の形式称号付与の慣例に従って両運転台車・片運転台車・運転台無しの中間車の順に設計時期やトイレの有無などを勘案しつつ整理して付番された。このため、基幹形式であり旧形式称号ではトップのキハ45000形とされていた便所付きの片運転台車がキハ17形となり、少数派でしかも後から追加された便所なしの両運転台車がキハ10形と付番されている。〕一連の形式群を便宜的、趣味的に総称したものである。 10系気動車に含まれる車両は、広義には、1952年(昭和27年)から1953年にかけ試作された電気式気動車キハ44000系、1953年に試作された液体式気動車キハ44500形/キハ15形を含む狭幅車体の気動車グループ全体が包括されるが、ここでは、説明の都合上、次表に掲げた新造形式およびその改造車を含む狭義のキハ10系について取り扱うこととする。キハ44000系およびキハ44500/キハ15形、そしてその改造車群については当該各記事を参照されたい。 == 概要 == 国鉄の量産形気動車としては初めて液体式変速機を実用化し、複数車両の総括制御を容易としたことで、日本におけるその後の気動車普及の途を開いた。一般形気動車の現代に至る運用形態の基本は、本系列を以って確立されたといえる。また、車両の電気系統・編成回路・動力機器の構成も、多くが以降の一般形内燃動車両開発の基本として受け継がれた。日本の鉄道技術史上における重要な系列である。 キハ17形が量産グループ最多両数形式であったことから、キハ17系とも呼ばれていた〔「キハ17系気動車」、「キハ17系ディーゼルカー(DC)」など。同様にこれも趣味の分野を中心とした便宜的な呼称である。誠文堂新光社刊行の一連の車両ガイドブックや鉄道趣味誌での記述、鉄道模型の商品名や広告にこの表現が見られる。実際の車両設計に携わった技術者が寄稿するなど、より専門的な内容が特徴の鉄道ピクトリアルでは、「キハ45000形とその一族」などの表現が用いられている。〕。キハ40系気動車(2代)の配備とともに始まった本系列の急速な淘汰の中でも、「単行運転」の可能な両運転台の各形式の一部が遅くまで温存され、私鉄への譲渡やローカル線ブームでファンに注目され始めたこと、また、これを取り上げた鉄道趣味誌が、キハ09形(初代)やキハ15形など試作車改造グループから転用された郵便・荷物などの合造車をも併せ、車体幅の狭い初期の一般形気動車を広義(後述)に「10代形式気動車」と呼び始めたことなどから、1970年代末を境に10系の呼称が広まり、定着していった。
※旧形式は1957年の称号改正以前の形式。( )内は計画数。 1953年(昭和28年)に液体式試作気動車として開発されたキハ44500形の実績を基に開発され、車体の大きさや性能もほとんど同一である。従って車体断面は標準的な電車や客車より小さく、軽量化が徹底されていた。 液体変速機による総括制御編成運転を前提に全車貫通構造を標準化したこと、車体中央部両壁面に排気管を通した屋上排気方式を採用した点は、先行してアメリカ合衆国の鉄道車両メーカー・バッド社が1949年から量産化していた気動車「RDC」(:en:Budd Rail Diesel Car)の影響とも指摘されている〔湯口徹『日本の内燃動車』(2013年 成山堂書店)p102-103。ただしバッド「RDC」は26m級のステンレス鋼ボディに、デトロイトディーゼル製2ストローク275HPディーゼル機関2基とアリソン・トランスミッション製液体変速機を搭載した大型大出力車で、日本国鉄の気動車とは性能・居住性に格段の差があった。RDCは1962年までに約400両生産され、アメリカ国内および輸出市場に供給された。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国鉄キハ10系気動車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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