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青梅電気鉄道の電車(おうめでんきてつどうのでんしゃ) 本項では、青梅電気鉄道(現在の東日本旅客鉄道青梅線)が保有した電車について記述する。 == 概要 == 青梅電気鉄道は当初は青梅鉄道と称し、1894年(明治27年)に開業した軌間762mmの蒸気動力による軽便鉄道であったが、1908年(明治41年)に全線を官設鉄道と同じ1067mmに改軌し、さらに1923年(大正12年)には、直流1200Vによる電化が行なわれた。その後、1929年(昭和4年)6月に中央本線の1500V電化が立川まで延伸されたのに合わせ、1930年(昭和5年)に1500V昇圧を行っている。 電車による旅客輸送は1923年の電化時からで、1921年(大正10年)に製造された木製客車を改造した3両が、青梅電気鉄道最初の電車となった。その後は原則として比較的大型の鋼製車を新製しており、当時多かった鉄道省からの譲受け木製車は、1両のみである。青梅電気鉄道は、1944年(昭和19年)4月1日付けで戦時買収され、運輸通信省の青梅線となった。この時点での引継ぎ車は、電気機関車4両、電車24両、貨車267両である。 青梅電鉄買収電車は、電動機の台車への装架方法(バー・サスペンション型の吊り掛け式)や、イギリスのイングリッシュ・エレクトリック(デッカー)系電動カム軸式制御器など、鉄道省標準方式との互換性に乏しい特殊な機構を備えており、保守に難渋した〔鉄道省の車両を初めとする多くの高速電車では主電動機装架はノーズ・サスペンション式が主流であった。また戦前の鉄道省電車の制御装置はアメリカのゼネラル・エレクトリックの流れを汲む電空カム軸式が標準で、青梅のデッカー式電動カム軸と互換性がなかった。〕ことから、買収国電の中では最も早く電動車の継続運用を断念され、1944年(昭和19年)7月、電動車は一斉に電装を解除された。 戦後は、沿線に横田基地を控えて輸送量が急増したため荒廃が激しく、私鉄払い下げ等による早期淘汰の対象となった。1953年(昭和28年)の車両形式称号規程改正時点で国鉄形式を与えられたのはわずかに6両のみで、いずれも電装を解除して制御車となっていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「青梅電気鉄道の電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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